箱根町
箱根仙石原、芒の草原の奥に棟を分ける一軒 — 台ヶ岳の裾に仲秋の静けさを置く独立棟の記
仲秋の箱根仙石原で、母屋から離して棟を構える宿を一軒。明治三年創業の仙郷楼は、大涌谷から引いた白濁の強酸性泉を完全放流式で注ぎ、庭の奥に木造平屋・数寄屋造りの離れ六室を置きます。芒の原の見頃に合わせ、庭と湯と膳から辿ります。
箱根強羅と仙石原、外輪山の斜面に湯を張り出す客室露天五軒 — 白露の早雲山と芒の原を望む朝湯
箱根の強羅と仙石原で、客室に露天風呂を備え外輪山や早雲山を望む斜面へ湯船を差し掛ける宿を五軒。大涌谷の白濁湯と強羅の重曹泉、二系統の湯を源泉名と泉質に照らして選びました。
箱根十七湯、外輪山の谷ごとに湯を分ける名湯五軒 — 大涌谷の硫黄と芦ノ湖の単純泉を歩く
梅雨明けの箱根、十七湯を谷ごとに分けて辿る。寛永・寛文創業の老舗から明治のリゾートホテルまで、塔之澤・芦之湯・宮ノ下・強羅・小涌谷の五谷を代表する名宿を編集部が選定。
箱根湯本、自噴の源泉を単独で守る寛永創業の一軒 — 江戸の湯治場に十数代を継ぐ宿の記
梅雨の名残が早川の瀬音に重なる箱根湯本。寛永二年(1625年)に灯を点し、約400年・十数代を継いできた萬翠楼福住——湯本第三号の自噴源泉を単独で守り、重要文化財「萬翠楼」「金泉楼」を客室として今も用いる一軒を、湯と建築の継承を主語に描く。
番頭という職能 — 旅館の表を取り仕切ってきた者たちの、いま語られない差配について
夏の宵、玄関帳場に灯が入る頃。客の到着から見送りまでを差配した番頭という職能を、玄関帳場の建築と離れの作法に辿る随筆。箱根の老舗二軒に触れる。
箱根仙石原と強羅、芒原と大文字を望む客室露天五軒 — 大涌谷の硫黄を引く山の湯
盛夏の箱根、仙石原のすすき原と強羅の斜面に建つ客室露天五軒。大涌谷の白濁の硫黄泉と新湯本系の透明な掛け流し湯、各室の露天から望む明星ヶ岳と仙石原を、地図とともに編集部が選んだ。
床の間という余白 — 旅館の客室が、なぜ何もない空間を最も大切にしてきたか
梅雨の長雨が障子を打つ夕暮れ。旅館の客間に必ず設えられてきた床の間とは何であったか。書院造から数寄屋への系譜を辿り、創業二百年を超える箱根「萬翠楼福住」と山梨「慶雲館」に、余白の作法をいまに訪ねる随筆。
縁側という装置 — 旅館の内と外を繋ぐ板間が、いかに季節を呼び込んできたか
梅雨の朝、障子を引くと板間が湿りを帯びている。柱と障子の間に細く渡された縁側は、客間を取り巻きながら、外気と室内の境界を曖昧に保ってきた装置である。群馬・別邸 仙寿庵と神奈川・箱根 弓庵の縁側を参照しつつ、建築史と作法の両面から論じる。
宿帳という記録 — 三百年の宿が綴じてきた名前の連なりについて
梅雨の合間、宿の蔵が静かに開かれる季節。和紙に毛筆で名前を綴った宿帳は、本陣帳・脇本陣帳に遡る記録の形式である。慶雲館、萬翠楼福住、湯主一條 — 三百年を越える老舗が継いできた書証の連なりを、随筆として辿る。
中庭という余白 — 旅館の建築が、棟と棟の間に何を置いてきたか
壷庭から坪庭、苔庭、池泉へ。日本の旅館建築が棟と棟の間に置いてきた「眺めるための余白」を、京都・俵屋旅館、修善寺・あさば、箱根・強羅花壇の三軒にたどる建築論。