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箱根町

名湯

箱根十七湯、外輪山の谷ごとに湯を分ける名湯五軒 — 大涌谷の硫黄と芦ノ湖の単純泉を歩く

梅雨明けの箱根、十七湯を谷ごとに分けて辿る。寛永・寛文創業の老舗から明治のリゾートホテルまで、塔之澤・芦之湯・宮ノ下・強羅・小涌谷の五谷を代表する名宿を編集部が選定。

2026 . 07 . 02
名旅館

箱根湯本、自噴の源泉を単独で守る寛永創業の一軒 — 江戸の湯治場に十数代を継ぐ宿の記

梅雨の名残が早川の瀬音に重なる箱根湯本。寛永二年(1625年)に灯を点し、約400年・十数代を継いできた萬翠楼福住——湯本第三号の自噴源泉を単独で守り、重要文化財「萬翠楼」「金泉楼」を客室として今も用いる一軒を、湯と建築の継承を主語に描く。

2026 . 06 . 29
離れ

番頭という職能 — 旅館の表を取り仕切ってきた者たちの、いま語られない差配について

夏の宵、玄関帳場に灯が入る頃。客の到着から見送りまでを差配した番頭という職能を、玄関帳場の建築と離れの作法に辿る随筆。箱根の老舗二軒に触れる。

2026 . 06 . 28
客室露天

箱根仙石原と強羅、芒原と大文字を望む客室露天五軒 — 大涌谷の硫黄を引く山の湯

盛夏の箱根、仙石原のすすき原と強羅の斜面に建つ客室露天五軒。大涌谷の白濁の硫黄泉と新湯本系の透明な掛け流し湯、各室の露天から望む明星ヶ岳と仙石原を、地図とともに編集部が選んだ。

2026 . 06 . 16
名旅館

床の間という余白 — 旅館の客室が、なぜ何もない空間を最も大切にしてきたか

梅雨の長雨が障子を打つ夕暮れ。旅館の客間に必ず設えられてきた床の間とは何であったか。書院造から数寄屋への系譜を辿り、創業二百年を超える箱根「萬翠楼福住」と山梨「慶雲館」に、余白の作法をいまに訪ねる随筆。

2026 . 06 . 08
離れ

縁側という装置 — 旅館の内と外を繋ぐ板間が、いかに季節を呼び込んできたか

梅雨の朝、障子を引くと板間が湿りを帯びている。柱と障子の間に細く渡された縁側は、客間を取り巻きながら、外気と室内の境界を曖昧に保ってきた装置である。群馬・別邸 仙寿庵と神奈川・箱根 弓庵の縁側を参照しつつ、建築史と作法の両面から論じる。

2026 . 06 . 07
名旅館

宿帳という記録 — 三百年の宿が綴じてきた名前の連なりについて

梅雨の合間、宿の蔵が静かに開かれる季節。和紙に毛筆で名前を綴った宿帳は、本陣帳・脇本陣帳に遡る記録の形式である。慶雲館、萬翠楼福住、湯主一條 — 三百年を越える老舗が継いできた書証の連なりを、随筆として辿る。

2026 . 06 . 04
離れ

中庭という余白 — 旅館の建築が、棟と棟の間に何を置いてきたか

壷庭から坪庭、苔庭、池泉へ。日本の旅館建築が棟と棟の間に置いてきた「眺めるための余白」を、京都・俵屋旅館、修善寺・あさば、箱根・強羅花壇の三軒にたどる建築論。

2026 . 05 . 28
離れ

中庭という余白 — 旅館の建築が、棟と棟の間に何を置いてきたか

壷庭から坪庭、苔庭、池泉へ。日本の旅館建築が棟と棟の間に置いてきた「眺めるための余白」を、京都・俵屋旅館、修善寺・あさば、箱根・強羅花壇の三軒にたどる建築論。

2026 . 05 . 28
離れ

箱根の離れに二夜、湯と静寂の二日間 — 仙石原から強羅へ

梅雨明けの箱根、二泊三日。一夜目に仙石原の離れ「金乃竹 仙石原」、二夜目に強羅の離れ「強羅花扇 円かの杜」を置き、湯と静寂の対比を体に通す行程を編集部が組み立てる。

2026 . 05 . 18