盛夏の朝、共同湯の格子戸が開く音で湯場が一日を始める町がある。野沢温泉の十三湯、城崎の七つの外湯、肘折の上の湯と下の湯。湯仲間 (ゆなかま) という呼び名で、町衆が当番制で湯を守り、湯銭を集め、源泉の樋を継いできた制度を、いまも続けている湯場の話である。湯と建物を、人ではなく町が育ててきた風景を、三軒の旅館を通して読みたい。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金 (税込) です。

湯仲間という制度

湯仲間とは、外湯あるいは共同湯を町衆が共同で運営し、湯の引き込み、湯舟の清掃、湯銭の徴収、源泉の維持を当番制で担う制度を指す。江戸期から明治期にかけて、湯治場の多くが宿屋・商家・農家の連帯によって支えられてきた頃の姿が、今も残っている。湯場ごとに名は異なる。野沢では「湯仲間」、城崎では「湯番」、肘折では「組」と呼ばれてきた。いずれも、湯を私有の財ではなく、町の公共財として扱う考え方を制度の核に置いてきた。

運営の細目は、湯場ごとに違う。野沢温泉では十三の外湯それぞれに「湯仲間」と呼ばれる集落単位の組があり、加入する家が当番で清掃と燃料の調達を担う。城崎では「湯番組合」が七つの外湯を統括し、入湯料の収納と建物の維持を分担する。肘折では宿屋を中心に「上の組」「下の組」が編成され、源泉小屋の点検と湯権の継承を、文書ではなく口伝で受け継いでいる。新規入会の条件、当番表の作り方、年中行事の支度。書きものに残らない作法が、それぞれの湯場に積み重ねられてきた。

盛夏は、湯仲間の年中行事が集中する季節でもある。野沢の湯澤神社例祭、城崎の温泉祭、肘折の地蔵祭。神社の幟立て、湯舟の総ざらえ、賽銭箱の受け継ぎ。当番にあたった家は、宿の本業の合間に町仕事を片付ける。旅人として湯場を訪ねるとき、この季節の動きが見えるかどうかで、湯場の景色は変わる。

一軒目 — 城崎温泉 西村屋本館

安政期創業。城崎七つの外湯と本館の湯を行き来する湯場文化の中心に、いまも立つ一軒。

Media Picks Score: 93 / 100  34室、城崎温泉の老舗旅館。

目安価格 ¥167,000–¥224,000 / 泊 (2名1室・通常期)


西村屋本館 — 兵庫・城崎温泉 · 安政創業、城崎七つの外湯の中心に立つ老舗宿
PHOTO: 西村屋本館 — 公式サイトを見る →

城崎の湯場は、宿に泊まり、浴衣で外湯を渡り歩く「外湯文化」を中心に発展してきた。西村屋本館は、その文化を支えてきた湯番組合の中で、長きにわたって名を残してきた旅館である。安政期 (1860年頃) に湯宿として現在の場所に居を構え、以来およそ160年余りにわたって代を継いできた。敷地内には国の登録有形文化財に指定された「平田館」が残り、数寄屋造りの大広間と中庭の苔石、雪見障子の組子の細やかさが、宿の時代を語っている。

湯は三つ。本館の「吉の湯」「福の湯」「尚の湯」と、城崎七湯を旅人の足で結ぶ夜の散歩。雪解け頃の湯気と、盛夏の祭礼の幟が、それぞれに城崎の表情を変える。集約レビューの傾向としては、接客と建物の保全、料理の手わざに対する評価が安定して高く、価格帯への意識を持って訪れる宿としての位置づけが定着している。湯番組合の歴史を背負った旅館として、城崎で最初に名が挙がる一軒であり、湯仲間文化を継承の現場で読みたい人に向く。

湯場の作法と西村屋

城崎の湯番は、外湯七湯と日帰り入湯券の販売、湯舟の清掃当番を統括してきた組合組織で、宿屋経営者がその中心に据えられてきた歴史を持つ。西村屋は、組合における筆頭格の家として、外湯の整備計画や祭礼の運営に関わってきた。観光客が浴衣で町を歩く現在の姿は、湯番組合が長年にわたって築き上げてきた外湯共有のかたちが、観光産業として実を結んだものでもある。本館に泊まり、外湯に通うという旅の作法は、宿と町の双方に支えられて成り立っている。

二軒目 — 肘折温泉 丸屋旅館

明治元年創業。共同湯の格子戸を出てすぐの七室の宿に、肘折の湯治場文化が凝縮されている。

Media Picks Score: 91 / 100  7室、源泉100%かけ流しの湯治宿。

目安価格 ¥57,000–¥65,000 / 泊 (2名1室・通常期)


肘折温泉 丸屋旅館 — 山形・肘折温泉 · 明治元年創業、共同湯のすぐそばに立つ七室の宿
PHOTO: 肘折温泉 丸屋旅館 — 公式サイトを見る →

肘折は山形県大蔵村、月山と葉山に抱かれた谷あいの湯場である。およそ1200年前の開湯と伝えられ、明治期までは農閑期の湯治場として東北各地の村から人が集まった。雪深い土地のため、湯番は宿屋と農家の合議で回されてきた。共同湯「上の湯」を中心に町が据えられ、その傍らに七室の小宿として丸屋旅館が立っている。創業は明治元年 (1868年)。レトロモダンと自称される館内は、湯治宿の躯体を残しながら、滞在の時間に寄り添う改修が積み重ねられてきた。

湯は源泉100%のかけ流し。湯治の作法を、現代に通用する滞在の様式に翻訳しようとする姿勢が、丸屋の特徴である。集約レビューの傾向では、宿の規模と湯の質、館主の語りに対する評価が静かに高く、リピーター比率の厚みが見て取れる。肘折の湯仲間制度は、文書ではなく口伝で源泉の権利と当番の順を受け継いできた。丸屋の現当主が話す祖父の代の話、旅館組合と湯番組合の関係、雪の朝に行う湯舟の総ざらえの段取り。書きものに残らない湯場の知識が、宿の暮らしの中で生きている。

共同湯と宿の距離

肘折の旅館の多くは、共同湯から徒歩一分以内に位置している。丸屋もその例に漏れず、宿の戸を出て十数歩で上の湯の格子戸に届く。湯治宿の客は、宿の内湯で長湯を控え、共同湯で一日を区切るという作法を、いまも自然に身につけて滞在する。湯仲間の当番が朝五時に湯舟を清める音が聞こえる宿に泊まり、自分の足で共同湯に通う。これが、肘折で湯場文化を読むうえでの最も短く確かな入口である。

三軒目 — 野沢温泉 常盤屋旅館

大湯のお膝元に立つ十五室の宿。十三湯の湯仲間文化を、宿の番頭の手帖の中で継いできた。

Media Picks Score: 90 / 100  15室、野沢温泉村の老舗旅館。

目安価格 ¥19,000–¥32,000 / 泊 (2名1室・通常期)


野沢温泉 常盤屋旅館 — 長野・野沢温泉村 · 大湯のお膝元、十三湯の湯仲間文化を継ぐ宿
PHOTO: 野沢温泉 常盤屋旅館 — 公式サイトを見る →

野沢温泉村には十三の外湯がある。麻釜 (おがま) の源泉を中心に、湯仲間と呼ばれる集落単位の組がそれぞれの外湯を担い、清掃、湯銭の収納、燃料の調達を当番制で受け継いできた。外湯は地元の人々が日常的に利用し、旅人にも開かれている。湯仲間に加入する家は、世代を超えて当番表に名を連ね、宿の経営と町仕事を並行して回してきた。

常盤屋旅館は、大湯のお膝元に立つ江戸後期創業の老舗である。木の温もりを残した館内、湯気立つ内湯、夕餉の山菜と新潟堺の地物。集約レビューの傾向は、宿の規模感と料理、湯場の中心という立地への評価に集中する。観光客で賑わう温泉街の真ん中にありながら、地元の湯仲間の当番が朝七時に外湯の戸を開ける音を、客室で聞きながら朝を迎える宿でもある。湯仲間という制度を、生活の音の中で感じ取れる一軒として、編集部が推したい。

大湯と湯仲間

大湯は野沢温泉のシンボル的存在で、十三湯の中でも最も多くの旅人が訪れる。湯舟の縁石は熱に灼かれて磨り減り、屋根の梁は煤と湯気で黒ずんでいる。これらは清掃の手では落とせない時間の痕跡で、湯仲間の当番が、毎日同じ手順で湯舟を整えてきた歴史の地層でもある。常盤屋に泊まる客は、宿の内湯で身を温めたあと、浴衣で大湯に渡るのが定番の流れになっている。湯場の作法を、教えられるのではなく、隣の地元客の動きから学んで身につけていく。

湯仲間が続いてきた理由

湯仲間制度が現代まで続いてきた理由を、三つの湯場の話の中から拾うと、いずれも共通する点が見えてくる。第一に、源泉が一つの家の私有財ではなく、町全体の公共財として扱われてきたこと。第二に、湯番の当番表が、加入する家の世代交代と歩調を合わせて更新されてきたこと。第三に、外湯あるいは共同湯が、地元の人の日常生活の中に組み込まれ、観光以前から運営の理由が存在してきたことである。湯舟の清掃、源泉小屋の点検、湯銭の集金。一つひとつは小さな町仕事だが、その積み重ねが、湯場の景色を作ってきた。

盛夏の祭礼の季節に湯場を訪ねると、湯仲間の動きが見えやすい。湯澤神社の宵祭で幟を立てる男衆、温泉祭で湯舟の総ざらえを差配する組合の若い衆、地蔵祭で賽銭箱を受け渡す老人たち。観光資源としての温泉ではなく、町の財産としての湯場が、目の前で動いている。本稿で訪ねた三軒の宿は、いずれもその風景の中で旅館業を営んできた家であり、湯仲間という言葉が、抽象的な制度の名ではなく、宿の番頭の手帖の中で生きていることを、客室の窓越しに伝えてくれる。

よくある質問

Q. 湯仲間制度を体感するためには、どの季節に訪ねるとよいですか?

A. 盛夏 (七月から八月) に湯場の祭礼が集中するため、湯仲間の動きが最も見えやすい時期である。野沢の湯澤神社例祭、城崎の温泉祭、肘折の地蔵祭は、いずれも夏の行事である。一方で、雪深い土地の作法を読むのであれば、肘折は晩冬から早春が、湯番の朝の段取りを最も濃く感じられる時期にあたる。

Q. 外湯・共同湯を、宿泊客以外も利用できますか?

A. 野沢温泉の十三湯と肘折の共同湯は、地元の生活湯としての性格が強く、宿泊客と日帰り客の双方が湯仲間の管理のもとで利用できる構造になっている。城崎の七つの外湯は、入湯料制で旅人に開かれており、宿泊客は宿が発行する湯巡り券で渡り歩くのが一般的である。湯場の作法は地元客から学ぶ部分が多いため、入口の張り紙や脱衣場の表示に従って利用したい。

Q. 湯仲間に加入するには、どのような条件があるのですか?

A. 加入条件は湯場ごとに異なるが、いずれも世襲または長期居住が前提となる場合が多い。新規入会には、組合の総会での承認、当番表への登録、入会金の納付といった手続きを伴うことが知られている。書面に残らない口頭の作法が多く、外部の研究者には踏み込みづらい領域でもある。

Q. 共同湯文化と通常の温泉旅館との違いは何ですか?

A. 通常の温泉旅館では、湯は宿が私有する施設として整備されている。共同湯文化のある湯場では、宿の内湯に加えて、町が共有する湯舟が日常生活の中心に置かれている。旅人として滞在する側にとっては、宿の内湯で身を温めたあと、浴衣で町を歩き共同湯に通うという二段構えの作法が、湯場の景色をひと味違うものにしてくれる。

Q. 子連れでの滞在は可能ですか?

A. 三軒ともに、宿としては子連れの受け入れを行っている。共同湯は地元の生活湯としての性格が強いため、幼児を連れての入浴は時間帯や混雑状況を見て判断したい。肘折は山深い土地で道のりも長いため、移動の負担を含めて計画するのがよい。

本記事の参考情報

野沢温泉マウンテンリゾート観光局 — 十三湯と湯仲間制度の運営情報
城崎温泉観光協会 — 七つの外湯と湯番組合の歴史
肘折温泉観光案内所 — 共同湯と湯治場文化
Wikipedia: 共同浴場 — 制度史の背景

編集部から

湯仲間という言葉は、湯場の自治を語る上で外せない概念だが、書きものに残らない作法が多く、外から眺めるだけでは届きづらい。本稿で訪ねた三軒は、いずれも宿の暮らしの中に制度が生きている家で、滞在の時間そのものが、湯仲間文化の一端を読むための窓になる。盛夏の祭礼の季節、雪解けの湯舟の総ざらえ、秋の長雨に湯気が立ちのぼる朝。湯場の景色は、季節ごとに表情を変える。本稿で触れきれなかった黒川温泉、渋温泉、別府の鉄輪などの湯場についても、別の機会に改めて訪ねたい。