梅雨入り前夜、上州の奥地を流れる四万川の源流に、湯気が低く沈む。四万温泉が国民保養温泉地第一号に指定されたのは昭和二十九年。日向見薬師堂を奥宮とし、新湯・山口・温泉口・ゆずりは・日向見の五つの区分が、谷あいに静かに点在する湯場である。千の湯と呼ばれてきた地名のとおり、ナトリウム・カルシウム塩化物泉が四万川の渓流と苔石に湧き、四百年以上にわたり胃腸の養生湯として崇められてきた。本稿では、各区分から一軒ずつ、湯量と源泉、創業年を編集部の手で記しながら、五軒の湯宿を紹介する。
| # | 旅館 | 区分 | Score | 客室 | 目安価格 | 1行特徴 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 積善館 本館 | 新湯橋袂 | 95 | 22 | ¥30–¥104k | 元禄四年(1691)建築、群馬県重要文化財の木造湯宿 |
| 2 | 四万たむら | 山口 | 93 | 47 | ¥57–¥80k | 永禄六年(1563)創業、自家7源泉・湧出量毎分1600L |
| 3 | 旅館 ひなたみ館 | 日向見 | 93 | 10 | ¥48–¥66k | 明治三十八年(1905)創業、薬師堂門前の十室の宿 |
| 4 | 柏屋旅館 | 新湯 | 93 | 15 | ¥53–¥72k | 昭和二十五年(1950)の老舗、貸切露天三つを擁す |
| 5 | 時わすれの宿 佳元 | ゆずりは | 90 | 8 | ¥48–¥66k | 楓仙峡を望む全8室の料理宿、ゆずりは地区の静かな一軒 |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。
1. 積善館 本館 — 中之条町・新湯橋袂
元禄四年に建ち、いまも木造のまま湯客を迎える。四万を語るとき、最初に置かれる一軒である。
Media Picks Score: 95 / 100 22室、木造三階建ての旅館建築。
目安価格 ¥30,000–¥104,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
四万川と新湯川の合流点に、紅い橋を渡って入る木造三階建ての旅館建築。本館は元禄四年(1691)の建築と伝えられ、群馬県の重要文化財に指定されている。日本最古級の木造湯宿建築という伝来をもち、四万の地で湯と建築を同時に継いできた稀な一軒である。地下に湧く元禄の湯は、創業の折に掘り当てたとされる自家源泉。アーチ型の窓と五つの石造湯舟が並ぶ大正期の浴場は、湯客が黙して湯気を浴びる場であって、観光地化した温泉街では失われた静けさをいまも保つ。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計したところ、本館の評価軸は明確に二極化する。建築・湯舟・歴史への評価が高く、旅というよりも文化体験として記憶される一方、設備の古さ、共同の風呂・洗面、階段の多さを率直に難点として挙げる声も一定数ある。「整備された宿」を求める層には向かないが、「木と湯と時間そのものに泊まる」価値を理解する層からは強い支持を集めている宿である。
向く人 / 向かない人
-
向く:
湯宿の建築・歴史に関心を寄せる夫婦旅、湯治の作法を体験したい温泉好き、和の意匠を求めて訪日する旅行者 -
向かない:
バリアフリーや最新の水回りを最優先する人、幼児連れの家族(階段が多く客室間の段差あり)、洋食の朝食を望む人
具体情報
- 所在: 群馬県吾妻郡中之条町四万4236
- 最寄駅: JR吾妻線 中之条駅からバス約40分
- 泉質: ナトリウム・カルシウム塩化物泉
- 食事: 朝夕とも食事処、群馬の郷土料理を基調とする会席
- 創業 / 本館建築: 元禄四年(1691)建築、群馬県重要文化財
- 文化的位置: 国民保養温泉地一号・四万温泉の象徴的存在
2. 四万たむら — 中之条町・山口
永禄六年(1563)創業、自家七源泉。四万温泉の湯量と歴史を一軒で背負う、山口の本陣。
Media Picks Score: 93 / 100 47室、温泉三昧の宿。
目安価格 ¥57,000–¥80,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
四万川の上流、山口区分に構える老舗で、創業は永禄六年(1563)と伝えられる。室町末期から数えて四百六十年余り、湯宿としての歴史は四万でも最古に属す。湯量の豊かさが特筆され、自家源泉七本から湧出する温泉は毎分千六百リットルに達する。館内には七つの浴場が点在し、いずれも源泉かけ流し。湯巡りそのものを宿の主軸に据える運営思想は、湯を売るのではなく湯に泊めるという温泉宿の古い在り方を、いまも更新せず継いでいる。
集約レビューの傾向
湯量・浴場の数・湯質に対する評価が安定して高く、湯治宿としての完成度を支持する声が多い。料理は月替わりの本格懐石で、群馬の素材を基調とするが、料理を主目的に来る層よりは湯を主目的に来る層に向く構成である。客室は時代によって意匠が異なり、新しい棟と古い棟が混在するため、客室の好みは事前確認を要する。総じて、湯量の豊かさを期待して訪れた客の満足度が高い宿である。
向く人 / 向かない人
-
向く:
湯を巡るために宿に泊まりたい温泉好き、夫婦・友人連れの湯治旅、二泊以上で時間をかけて滞在したい人 -
向かない:
客室に統一感を求める人、料理を主目的にする食通宿志向の旅、1泊で観光地巡りも済ませたい慌ただしい旅程
具体情報
- 所在: 群馬県吾妻郡中之条町四万4180
- 最寄駅: JR吾妻線 中之条駅からバス約40分
- 湯量: 自家7源泉、湧出量 約1600L/分
- 泉質: ナトリウム・カルシウム塩化物泉
- 浴場: 館内7か所、すべて源泉かけ流し
- 創業: 永禄六年(1563)
3. 旅館 ひなたみ館 — 中之条町・日向見
明治三十八年創業、薬師堂の門前に十室だけ。四万の奥宮に最も近い湯宿である。
Media Picks Score: 93 / 100 10室、半露天客室を備える数寄屋造り。
目安価格 ¥48,000–¥66,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
四万温泉の最も奥、日向見区分に建つ十室の小宿である。明治三十八年(1905)の創業。すぐ近くに国指定重要文化財の日向見薬師堂が立ち、四万の湯治場としての始まりを刻んだ薬師信仰の中心に位置する。客室は数寄屋造りを基調とし、半数以上に渓流を見おろす半露天風呂を備える。三つの貸切露天は無料で利用でき、十室規模ならではの落ち着きを保つ運営である。明日への糸口となる一夜——という宿の言葉は、慌ただしさを断つ静かな湯宿を求める層に届いている。
集約レビューの傾向
客室の半露天、料理、接客の三点で高い評価が集中する。とくに夕食の懐石料理は群馬の地のものを丁寧に扱う構成で、品数より一品ごとの完成度を志向する。十室という規模ゆえに、宿全体に行き届く運営の細やかさが繰り返し言及される。一方、四万温泉の中でも最奥にあるため、車を持たない旅行者は中之条駅からのバス便を綿密に確認する必要がある。静けさを最優先する層と、湯治の延長で連泊を望む層の双方から支持を得ている。
向く人 / 向かない人
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向く:
静かな湯宿を最優先する夫婦旅、半露天付き客室を希望する人、薬師堂参拝と湯治を組み合わせる滞在 -
向かない:
徒歩で温泉街を散策したい人(最奥のため距離あり)、大規模な大浴場や賑やかな館内を望む層、車を持たない旅程の場合は事前のバス確認が必須
具体情報
- 所在: 群馬県吾妻郡中之条町四万4367-8
- 最寄駅: JR吾妻線 中之条駅からバス約45分
- 近隣の文化財: 日向見薬師堂(国指定重要文化財)まで徒歩約3分
- 客室: 全10室、半数以上に渓流向きの半露天
- 貸切露天: 3か所、宿泊者無料
- 創業: 明治三十八年(1905)
4. 柏屋旅館 — 中之条町・新湯
昭和二十五年創業、新湯橋に近い湯場の中心。三つの貸切露天が、女性連れの旅に静かに応える。
Media Picks Score: 93 / 100 15室、貸切露天三つを擁す。
目安価格 ¥53,000–¥72,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
新湯区分の中心、四万川と新湯川の合流近くに建つ十五室の旅館。創業は昭和二十五年(1950)と比較的新しいが、四万温泉の戦後の湯場文化を担った中堅の継承者として地に根を張ってきた。三つの貸切露天は宿泊客が回数無制限で利用でき、家族連れ・夫婦旅・女性連れの旅程に静かに応える運営である。館内の意匠は黒電話を残すなど昭和の趣を意図的に残し、館主の継承の姿勢が随所に滲む。新湯橋までは徒歩二分という立地で、四万温泉街の散策を主軸とする旅にも合う。
集約レビューの傾向
貸切露天の充実、女性向けの細やかな配慮、館内意匠の静謐さに対する評価が集中する。客室は和室主体で、グレード差は明確だが、いずれの価格帯においても運営の丁寧さは安定している。食事は群馬の地物を主とした懐石で、品数より素材の質を重視する構成。立地と運営の両面で、四万温泉らしい正統な湯宿経験を求める層から支持を集めている宿である。
向く人 / 向かない人
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向く:
女性連れ・夫婦旅、貸切露天を回数気にせず使いたい人、温泉街を徒歩で散策したい旅程 -
向かない:
大きな大浴場での湯巡りを最優先する人、最新の設備や洋風の意匠を望む層、宿で完結する大規模型の滞在を求める旅
具体情報
- 所在: 群馬県吾妻郡中之条町四万3829
- 最寄駅: JR吾妻線 中之条駅からバス約40分
- 泉質: ナトリウム・カルシウム塩化物泉
- 貸切露天: 3か所、宿泊者無料・回数制限なし
- 食事: 朝夕とも食事処、群馬の郷土素材を基調とする会席
- 創業: 昭和二十五年(1950)
5. 時わすれの宿 佳元 — 中之条町・ゆずりは
楓仙峡を眼下に望む全八室の料理宿。ゆずりは地区の奥、時を忘れるための一軒。
Media Picks Score: 90 / 100 8室、料理を主軸とする静かな宿。
目安価格 ¥48,000–¥66,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
四万温泉街より一段奥まったゆずりは地区に静かに構える、全八室の料理宿である。眼下を四万川が流れる楓仙峡を望み、四室には意匠の異なる露天風呂付きの客室が用意される。屋号の通り、時間の経過を意識させない静謐さを宿の主軸に据え、料理は群馬の地物を中心とする丁寧な会席で構成される。八室という規模ゆえに、料理長と仲居の連携が乱れず、夕食の供出は一品ずつ温度を保って届けられる。湯量や浴場の数を競う四万の老舗群のなかで、佳元は「料理と静けさ」を軸に独自の位置を保つ。
集約レビューの傾向
料理の品質と運営の丁寧さに対する評価が中心を占める。湯量や大浴場を主目的とする層よりは、料理と静けさを主目的とする層に向く構成である。四万温泉街中心からは距離があるため、徒歩での散策を希望する旅程には合わず、車利用または宿で完結する滞在に向く。連泊・記念日・小さな祝いの席として選ぶ層が一定数おり、夫婦旅や友人連れの「時を忘れるための一夜」という宿の在り方が、安定して支持されている。
向く人 / 向かない人
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向く:
料理を旅の主目的とする夫婦旅、記念日や小さな祝いの席、宿で完結する静かな滞在を望む人 -
向かない:
温泉街の徒歩散策を希望する旅程、大浴場での湯巡りを最優先する湯治志向、車を持たない短時間滞在
具体情報
- 所在: 群馬県吾妻郡中之条町四万4344
- 最寄駅: JR吾妻線 中之条駅から車約40分
- 客室: 全8室、4室が露天風呂付き
- 食事: 群馬の地物を中心とする会席、朝夕とも食事処
- 立地: 楓仙峡を眼下に望むゆずりは地区
- チェックイン: 15:00〜18:00 / アウト 10:00
よくある質問
Q. 四万温泉が国民保養温泉地第一号に指定された経緯は?
A. 四万温泉は昭和二十九年(1954)に、全国で初めて国民保養温泉地に指定された湯場である。湯量と泉質の豊かさ、湯治場としての歴史、自然環境の良好さ——この三点が指定の要件とされた当時、四万はそのすべてを満たす代表的な温泉地として認定された。胃腸の養生に効くとされるナトリウム・カルシウム塩化物泉の効能は、湯治宿が長く積み重ねた経験的知見と、戦後の温泉医学の双方から支持されている。
Q. 日向見薬師堂はどんな場所か?
A. 四万温泉の最奥、日向見区分に位置する室町時代後期の建築で、国指定重要文化財。四万温泉の湯治場としての始まりを象徴する薬師信仰の中心であり、湯客が湯に入る前に薬師に詣でる作法が古くから守られてきた。境内に湧く御夢想の湯は、共同浴場として現在も利用されている。本稿で取り上げた旅館ひなたみ館はこの薬師堂の門前に位置する。
Q. 五つの区分(新湯・山口・温泉口・ゆずりは・日向見)とは?
A. 四万温泉は四万川とその支流に沿って細長く展開する温泉地で、湯場の地理的位置によって五つの区分で語られてきた。温泉口は温泉街の入口、山口は四万川の中流域、新湯は新湯川との合流点付近、ゆずりはは温泉街の奥、日向見は最奥の薬師堂の周辺にあたる。それぞれに源泉と湯宿の構成が異なり、本稿はこの五区分から一軒ずつを選んで紹介した。
Q. ベストシーズンは?
A. 編集部が推す時季は、まず梅雨入り前の五月下旬から六月上旬。青葉が萌え、宿の予約も比較的取りやすい。次いで紅葉の十月下旬から十一月中旬、四万川の渓と楓仙峡が最も鮮やかに染まる。冬は雪と湯気の対比が美しく、湯治の本来の姿に近い静謐な滞在になる。夏休みと年末年始は予約が早期に埋まる傾向にあるため、二か月以上前の手配を推奨する。
Q. アクセスは?
A. 東京方面からは、JR吾妻線・中之条駅まで上越新幹線(高崎駅で乗換)で約二時間。中之条駅から関越交通バスで四万温泉まで約四十分。車利用の場合、関越自動車道・渋川伊香保ICから国道353号経由で約一時間。本稿で取り上げた五軒は、いずれも四万温泉街の徒歩圏内(最奥のひなたみ館を除く)に位置するが、温泉街全体は細長く伸びるため、車利用が滞在の自由度を高める。
本記事の参考情報
・四万温泉協会 公式サイト — 四万温泉の歴史・五区分・各旅館の所在
・Wikipedia: 四万温泉 — 国民保養温泉地指定の経緯、泉質、地学的背景
・中之条町観光協会 — 日向見薬師堂をはじめとする周辺文化財情報
編集部から
四万温泉は、湯治の本来の姿を関東圏で最も濃く残す湯場である。国民保養温泉地第一号という肩書きは、湯量と泉質と歴史の総合点で四万が突出していたことを物語る指定であり、いまも五つの区分に湯宿が点在する地理的構成は、戦後の観光化の波の中で奇跡的に保たれた湯場の原型といえる。本稿で取り上げた五軒は、各区分から一軒ずつを編集部の判断で選んだもので、創業年・湯量・規模の違いを通じて、四万温泉という湯場の幅を示すための布陣である。次は秋の紅葉期、楓仙峡の色づきと湯気の対比を主題に、四万温泉の連泊・湯治を主軸にした記事を準備したい。読者が、湯と渓と時間に身を委ねる一夜を、いずれかの一軒で見つけられれば幸いである。