梅雨明けの飛騨に、昭和六年から灯りつづける一軒がある。下呂温泉の高台、通称「下呂富士」の中腹に建つ湯之島館は、創業以来この地で飛騨川を見下ろしてきた木造の宿である。重層した入母屋屋根と黒漆喰の壁を持つ本館は国の登録有形文化財に登り、数寄屋造りの客室には飛騨の匠の手仕事が今も残る。本稿では、建物そのものを主語に据えて、この宿が代を継いできた道のりを辿る。
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

一軒の輪郭 — 湯之島館、下呂・湯之島の高台
五万坪の杉檜に抱かれ、昭和六年から飛騨川を見下ろす木造の一軒。建物そのものが文化財として今に残る。
Media Picks Score: 95 / 100 67室、登録有形文化財の温泉旅館。
目安価格 ¥75,000–¥103,000 / 泊 (2名1室・通常期)
歴史と建築 — 山の中腹に温泉を引いた壮挙
湯之島館の物語は、旧国鉄高山本線の開通を四年後に控えた昭和二年(1927年)に始まる。名古屋の実業家・岩田武七が、飛騨の霊泉にふさわしい温泉施設を構想したことが起こりである。岩田は飛騨川温泉土地株式会社を興し、湯之島地区に採掘権を得て豊富な湯量を掘り当てた。地元の温泉宿や町の要請を受け、保有泉の一部を譲る条件で昭和四年(1929年)十月一日に着工。街中の平地ではなく、樹齢数百年の杉檜が立ち並ぶ下呂富士の中腹まで湯を引くという、延べ六万人を要した大事業であった。完成は昭和六年(1931年)。この年が、湯之島館の創業の年である。
本館は、重層した入母屋屋根と黒漆喰の壁を持つ玄関棟、ガラスの格子窓が連なる渡り廊下、そして木造三階建ての宿泊棟からなる。これらが2010年(平成22年)に国の登録有形文化財に登録された。本館客室は銘木を随所に用いた数寄屋造りで、詳細な内装設計図のなかった当時、棟梁たちが己の感覚で形にした意匠がそのまま残る。同時期に建てられた娯楽棟の洋館には、手焼きのタイル、窓ガラスの細工、ステンドグラスが配され、和館と洋館を組み合わせた大邸宅風の佇まいが近代建築の粋を伝えている。
湯のこと — 下呂の湯口を掘り当てた湯元
下呂の湯は、大正期に良い湯口を失い一度は廃れた。その復興のさなか、昭和三年(1928年)に現在の下呂温泉の源泉を掘り当てたのが湯之島館である。以来この宿は湯元として、展望大浴場や展望露天風呂はもとより、客室の風呂やシャワーに至るまで源泉をそのまま届けてきた。泉質はアルカリ性単純泉。肌をなめらかに整える「美人の湯」と称され、柔らかな肌あたりが代を継いで愛されてきた。
下呂が日本三名泉に数えられる由縁も古い。室町期の詩僧・万里集九が「草津、有馬、湯島(下呂)」を三名泉と記し、徳川四代の将軍に仕えた儒学者・林羅山がこれを引いて世に広めた。湯之島館が立つ「湯之島」は、かつて下呂が「湯島」と呼ばれた時代の名残を留める地名であり、この宿の名はその土地の記憶をそのまま負っている。

滞在の体験 — 数寄屋に時を預ける
湯之島館は、登録有形文化財の本館を起点に、昭和・平成・令和と増築と改修を重ねてきた。客室はそれぞれの時代の匠が趣向を凝らしたもので、畳の感触や広縁から望む山並みが旅情を誘う。なかでも特別室は全四室。創業時より多くの政治家や経済人を迎え、皇室にもゆかりを持つ格別の間である。数寄屋造りに飛騨の銘木と自然素材が選ばれ、木目や色合いの経年変化までもが味わいとなる。別館には露天風呂付きの客室も用意され、軒先の静かな湯に浸かりながら杉木立の深い緑を見上げる過ごし方も叶う。
食事は、飛騨牛をはじめとする土地の幸を主役に据える。先付の飛騨牛赤身マリネに始まる献立は、山國飛騨の四季を映して移ろう。食事処「篝火」の名が示すとおり、火と土地の素材を中心に組まれた一献である。
集約レビューが映すこの宿の本質
公開レビューデータを集計したところ、この宿に寄せられる評価で繰り返し言及されるのは、建物そのものが持つ古格と、湯元ならではの湯の柔らかさである。木造三階建ての宿泊棟や数寄屋の意匠を「歩くだけで時代を辿れる」と受け止める向きが多く、温泉については肌あたりの良さと、客室の風呂にまで源泉が届く点への評価が高い。一方で、五万坪の山中に建つ立地ゆえ館内の移動や段差を負担と感じる声も一定数あり、足腰に不安のある旅では事前の確認が要る。古い建物を生かす宿であるからこそ、その来歴を味わいに変えられるかどうかが、滞在の満足を分ける軸になると言える。
立地と周辺 — 飛騨川を見下ろす五万坪
湯之島館は下呂温泉の市街を眼下に望み、敷地は五万坪に及ぶ。樹齢数百年の杉や檜の木立を縫うように建物と庭が配され、街の喧噪から隔てられた静けさが保たれている。下呂温泉街までは送迎の便があり、温泉博物館や合掌村といった周辺の見どころへも足を延ばしやすい。梅雨明けから盛夏にかけては木立が最も濃い緑を帯び、朝霧の晴れる時刻に広縁から見る飛騨川の谷あいが、この宿でしか得られない景となる。
こんな旅人に
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向く:
近代建築や数寄屋の意匠に関心のある夫婦旅、湯質と源泉の来歴を重んじる温泉好き、街の喧噪を離れて静かに過ごしたい二人旅 -
向かない:
館内の段差や移動を避けたい足腰に不安のある旅、温泉街を歩いて夜遊びを楽しみたい旅程、新築の機能性や洋室主体の滞在を望む人
具体情報
- 所在地: 岐阜県下呂市湯之島645
- 客室数: 67室(うち皇室ゆかりの特別室4室、別館に露天風呂付客室)
- 泉質: アルカリ性単純泉(美人の湯)。客室の風呂・シャワーまで源泉
- アクセス: JR高山本線・下呂駅から車で約5分(送迎あり)
- 食事: 飛騨牛を主とした会席。食事処「篝火」
- 創業: 1931年(昭和6年)。本館は2010年に国の登録有形文化財に登録
- 敷地: 約五万坪、下呂富士の中腹
Media Picks Score
95 / 100 — 評価の内訳: 立地(下呂の高台・五万坪の静けさ) / 設備(湯元の源泉・数寄屋客室) / 体験(文化財での滞在) / 価格感(通常期¥75,000〜の上質帯) / 編集適合度(名旅館としての継承)。公開レビューデータの集計と、立地・規模・湯質の情報をもとに編集部が算出した。
よくある質問
Q. 湯の効能と泉質は?
A. 泉質はアルカリ性単純泉で、肌あたりが柔らかく「美人の湯」と呼ばれます。下呂温泉の現在の湯口を掘り当てた湯元の宿であり、大浴場や展望露天風呂のほか、客室の風呂やシャワーにまで源泉が届く点が特色です。一般に単純泉は刺激が穏やかで、長湯や湯あたりを案じる旅でも付き合いやすい湯とされます。
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 編集部が推すのは、梅雨明けから盛夏にかけての時季です。五万坪の杉檜が最も濃い緑を帯び、朝霧の晴れる時刻に広縁から望む飛騨川の谷あいが美しく映えます。秋は紅葉、冬は雪化粧した木立と、四季それぞれに表情が変わるため、静けさを求めるなら平日泊が向きます。
Q. 食事の内容と土地の素材は?
A. 飛騨牛を主役とした会席が供されます。先付の飛騨牛赤身マリネに始まり、山國飛騨の四季を映した献立が組まれます。食事処「篝火」を中心に、土地の素材と火を生かした一献が用意されています。
Q. 子連れでも泊まれますか?
A. 子供向けの料理が用意され、家族での滞在に対応しています。ただし五万坪の山中に建つ文化財の宿であり、館内に段差や移動の長さがある点は念頭に置きたいところです。乳幼児連れの場合は、客室タイプや入浴の段取りを予約時に確認しておくと安心です。
Q. アクセスは?
A. JR高山本線・下呂駅から車で約5分、送迎の便があります。名古屋方面からは特急ワイドビューひだで下呂駅まで向かう経路が一般的です。宿は下呂富士の中腹に建つため、駅から徒歩での到着は想定されていません。
本記事の参考情報
・下呂温泉旅館協同組合 — 下呂温泉エリアの観光情報
・Wikipedia: 下呂温泉 — 日本三名泉としての歴史・地理の背景
・湯之島館 公式サイト「湯之島館の歴史」 — 創業の経緯・建築の来歴
編集部から
名旅館を語るとき、つい「何年続いたか」を数えたくなる。だが湯之島館を歩いて思うのは、年月そのものよりも、創業者が山の中腹に湯を引いた一回の選択が、増改築のたびに丁寧に翻訳されて今へ届いている、という継承の質である。文化財という呼称は、その積み重ねに後から付いた一枚の証にすぎない。梅雨明けの飛騨を訪ねる旅があるなら、まずこの一軒の広縁に座り、谷あいの静けさに身を預けてみてほしい。次は、同じ飛騨の地で代を継ぐ別の名旅館を辿ってみたいと、編集部は考えている。あなたなら、この宿のどの時代の意匠に最も心が動くだろうか。