盛夏の八溝は、蝉時雨のむこうに川音を通す。その山あいの町、栃木・那珂川町馬頭に、江戸から明治へと建て継がれた旧家の邸宅が、いまは宿として灯をともしている。有形文化財ホテル飯塚邸。登録有形文化財の建物を、料理と建築の継承を主語に、一軒だけで静かに描いておきたい。年に一度、川開きの鮎を目当てに訪う夫婦客も少なくない。門をくぐると、二千平方メートルの敷地に石蔵と木造蔵が影を落とし、時間の厚みがそのまま迎えてくれる。
※ 目安価格は公開販売価格を集計した参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

歴史と建築 — 江戸から明治へ、建て継がれた邸宅
建物が、まず語りはじめる。飯塚家住宅の主屋は江戸後期、およそ二百年前の普請と伝わり、分家として設けられた新宅は明治後期の建築である。かつての本宅は昭和の後期に解かれたが、離れ・表門、そして石造りの文庫蔵と木造蔵が残り、往時の在郷の暮らしの格をいまに伝える。木造の主屋と新宅、二棟の蔵をあわせた延床はおよそ三百十五平方メートル。簡素な骨組みのなかに、欄間の組子や磨き上げた廊下といった優美な意匠が差し込まれ、質実と装飾が同居する。こうした建築的価値が評価され、2003年(平成15年)、国の登録有形文化財に登録された。

滞在の設え — 文化財を住むように過ごす
座敷が、静けさを主語にする。宿は全6室、いずれも一棟をまるごと借りるように過ごす仕立てで、和室の引き戸をたくみに使い分け、居間・寝室・食堂が一続きの日本家屋のなかに整えられている。寝台にはシモンズ社製のものが据えられ、冷蔵庫やキッチン什器も備わって、歴史的建造物でありながら日々の暮らしの快適さを損なわない。最大で4〜5名の一団を三組ほどまで受け容れることができ、夫婦二人の静かな逗留にも、旧知の友と囲む集いにも、間口は広い。チェックインは15時、チェックアウトは11時。障子越しの光が畳を移ろうさまを、時計を忘れて眺めていられる。
八溝と那珂川の食 — 鮎を主役に、土地を盛る
皿の上でも、土地が語られる。那珂川は鮎の遡上が名高く、六月の川開きから晩秋までのあいだ、清流に育った天然の鮎が食卓の主役となる。塩焼きに立ちのぼる香り、その一尾に土地の水が凝っている。あわせて八溝の山が育てた米や野菜、地元産のマンゴーといった果実まで、四季の食材が膳を彩る。素材そのものの味を尊ぶ組み立てで、派手な演出よりも土地の理を優先する姿勢が、この宿の食の背骨といってよい。鮎の季節に合わせて訪うなら、盛夏から初秋がひとつの目安になる。
湯とサウナ — 八溝の檜に包まれて
香りが、身体をほどく。館内には完全個室のフィンランド式プライベートサウナが設けられ、八溝の森の檜の香に満たされたサウナ室で、地元産のアロマを焚きながらひとり静かに整えられる。人目を気にせず、時間を区切らずに過ごせる個室仕立ては、年配の夫婦客にも構えず勧められる。渓の町の夜気に身をさらしたのち、檜の温もりに戻る往復が、旅の疲れを静かに流していく。
集約評価が映すこの宿の本質
公開レビューデータを集計すると、飯塚邸は同種の宿のなかでも際立って高い評価に落ち着いている。とりわけ支持を集めるのは、文化財の建物に泊まるという体験の稀少さと、一棟を占有する静けさ、そして鮎をはじめとする土地の食である。逆にいえば、大型旅館のような大浴場や賑わい、館内の多彩な設備を旅の主目的とする向きには、性格が異なる。静けさと歴史の格を第一に求める人に、この宿はもっとも深く応える。編集部としても、記録に値する一軒として推したい。
立地と周辺 — 馬頭の門前、美術の町
宿が建つ馬頭は、那珂川に沿った旧い門前の町並みを残す。車で近くには、建築家・隈研吾が手がけた馬頭広重美術館があり、明治大正の面影を残す旧校舎を活かした「もうひとつの美術館」も、同じ那珂川町内に佇む。清流の畔では、竹や木を組む昔ながらの工法の店で、川を間近に眺めつつ鮎を味わうこともできる。建築と美術と食が、半径わずかな範囲に折り重なる。都心の喧噪から離れ、土地の時間に身を委ねる旅程に、よく合う一軒である。
具体情報
- 所在地: 栃木県那須郡那珂川町馬頭360
- 客室数: 全6室(一棟貸し主体、最大4〜5名×3組まで利用可)
- 建築年代: 主屋(離れ)は江戸後期(約200年前)、新宅は明治後期
- 敷地規模: 約2,000㎡ / 木造建物・蔵の延床 約315㎡
- 文化財登録: 2003年(平成15年) 国登録有形文化財
- 宿泊施設開業: 2019年
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜11:00
- 食事: 清流那珂川の鮎と八溝の食材を用いた料理
- 設備: 完全個室のフィンランド式プライベートサウナ、キッチン什器、シモンズ社製ベッド(禁煙・ペット不可)
- 目安価格: ¥43,000〜¥65,000 / 泊(2名1室・通常期)
Media Picks Score
95 / 100 — 評価の内訳: 立地 / 建築の格 / 滞在体験 / 土地の食 / 編集適合度。文化財の建物を一棟で占有する稀少さと、那珂川の鮎という土地の柱が、総じて高い集約評価を支えている。
よくある質問
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 那珂川の鮎は六月の川開きから晩秋までが旬とされ、盛夏から初秋がこの宿のもっとも土地らしい時期です。新緑や紅葉の季節も邸宅の庭が趣を深め、編集部が推すのは鮎と青葉が重なる初夏から夏にかけての頃合いです。
Q. 食事ではどのような料理が出ますか?
A. 清流那珂川でとれる鮎を軸に、八溝の山が育てた米や野菜、地元産の果実まで、四季の地元食材を用いた料理が供されます。素材の味を尊ぶ組み立てで、鮎は季節に応じて塩焼きなどで供されます。
Q. 子連れでも泊まれますか?
A. 一棟を占有する仕立てのため、家族での逗留にも向きます。ただし江戸期からの木造建築で段差や繊細な建具が残るため、幼い子ども連れの場合は建物への配慮が要ります。ペットの同伴はできません。
Q. アクセスはどうなっていますか?
A. 栃木県北東部、那珂川町馬頭に位置します。公共交通の便は限られるため、車での来訪が中心です。周辺には馬頭広重美術館などの見どころが車で数分から十数分の範囲に点在します。
Q. サウナや風呂はありますか?
A. 完全個室のフィンランド式プライベートサウナを備え、八溝の檜の香と地元産アロマのなかで、時間を気にせず過ごせます。人目を避けて静かに整えたい向きに向く設えです。
本記事の参考情報
・那珂川町観光協会 — 馬頭・那珂川周辺の観光情報
・Wikipedia: 那珂川町 — 地理・歴史の背景
編集部から
建物を守ることは、土地の記憶を守ることに近い。昭和に本宅を失いながらも、離れと蔵、そして門を残し、宿として灯を継いだ飯塚邸には、失われかけたものを日常のなかで生かそうとする意思が通っている。那珂川の鮎が毎年遡上を続けるように、この邸宅もまた、訪う人を迎えることで生き永らえていく。文化財に泊まるとは、その営みに一夜だけ加わることなのだろう。次は、同じ栃木の湯の町に代を継ぐ宿を訪ねてみたい。あなたなら、建物の格と土地の食、どちらを旅の理由に選ぶだろうか。