晩夏の風が湯の曲輪を渡り、古総湯の格子から立つ湯気が九谷の窯里へと流れていく。行基が薬師如来の霊夢に導かれて開いたと伝わる山代の湯は、開湯千三百年。総湯を核に旅館が門前を囲む「湯の曲輪」の作法を今に伝える一軒として、あらや滔々庵を編集部が取り上げる。北大路魯山人が寓居し、器と食の美を磨いた地で、その系譜を十八代にわたって受け継ぐ料亭旅館である。器と食に眼のある夫婦旅に、湯町の格を凝縮して示す宿として、静かに推したい。
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込・会席料理込み)です。
1. あらや滔々庵 — 石川県加賀市・山代温泉
古総湯の正面に十八代。魯山人が寓居した湯町の中心で、九谷の器と加賀料理を継ぐ料亭旅館。
Media Picks Score: 95 / 100 全18室、料亭旅館。
目安価格 ¥123,000–¥230,000 / 泊 (2名1室・通常期・会席込み)

湯の曲輪と、開湯の記憶
山代温泉は神亀二年(725年)、僧・行基が北陸行脚のなかで八咫烏の傷を癒す霊泉を見出したのが開湯の起源と伝えられる。湯を四方から囲むように旅館が軒を連ねる「湯の曲輪(ゆのがわ)」の形式は、江戸期に加賀藩の湯治湯として整えられたもので、明治までは共同浴場「総湯」のみに湯が引かれ、旅館は湯を持たないのが原則だった。旅人は宿から総湯へ手拭を持って通う。この作法が、山代の湯町らしさを形作ってきた。
あらや滔々庵は、その湯の曲輪の中心、古総湯の真向かいに暖簾を守る。文献に残る創業は寛永期、十八代にわたって代を継ぐ。屋号の「あらや」は加賀藩に献湯する湯守の役を担った家系に由来し、「滔々庵」の名は湧き続ける湯量の豊かさを漢籍から引いたものである。総湯を中心に据える湯町の構造そのものを、宿の名がすでに映している。

魯山人と、九谷の器
大正四年から三年間、北大路魯山人はこの山代の地に寓居した。福田大観の号で篆刻を学び、九谷の窯元・須田菁華に器を焼き、地元の料理人と食の器の関係を突き詰めた期間である。魯山人にとって山代の三年は、後に星岡茶寮を主宰する食と器の思想が芽吹いた時期にあたる。滔々庵にはその折の作品と、当時の主人が魯山人と交わした書簡が残されており、館内の一角に「魯山人寓居跡いろは草庵」の関連資料として静かに展示されている。
宿の器は今も、九谷焼の作家が焼いた膳器を主に使う。九谷特有の五彩(緑・黄・紫・紺青・赤)を強く用いた古九谷写しから、白地に淡く絵付けした現代作家の作まで、料理の性格に応じて器を選ぶ。夕食の折、主人が「この皿は何代目、この向付は誰の窯」と伝えることがある。器を語る宿は今日多いが、器と土地の関係を語れる宿は少ない。滔々庵の膳は、器そのものが山代という土地の記憶を運んでいる。

加賀料理、湯と土地の膳
夕食は加賀懐石を基調とした会席料理を、原則として部屋出しまたは食事処の個室で。加賀百万石の武家料理と、山代の湯治客をもてなしてきた家庭料理の両方を土台とし、能登の魚介、白山の山菜、加賀野菜を素材の主軸に据える。前菜には治部椀の走りとして甘鯛の若狭焼、椀種には金沢港の甘海老や能登牡蠣、造りには天然の鰤や真鯛、焼物には加賀丸芋の田楽、蒸物には加賀太胡瓜の煮こごり。素材の順を土地の季節に沿って組む姿勢は、明治以来の料亭旅館の骨格をよく守っている。
朝食は焼き魚と加賀味噌の味噌汁、香の物と、地元の玉子焼きを中心に据えた和定食。加賀棒茶を最後の一椀に加えることを、この宿は長く守っている。派手さのない朝食のなかに、湯町の暮らしの姿勢が滲む。

客室と、有栖川宮の記憶
客室は全18室。数寄屋造りを基調とし、庭園に面した本館の座敷、有栖川宮威仁親王が明治二十六年に宿泊した記録の残る「有栖川」の間、庭に面した離れ形式の別棟、露天風呂付きの上級室まで、性格を異にする部屋を揃える。共通するのは、床の間・違い棚・書院の構えを崩さず、障子と畳と磨き上げた木肌で室内を組む姿勢である。廊下には行灯の灯りが低く続き、夜更けに廊下を歩く音が湯町の静けさに吸われていく。
広さは12畳の本間に次の間・広縁が付く標準形から、20畳超の特別室、露天風呂付きの離れまで多岐にわたる。天井を高く見せるための梁の露しはなく、格天井や竿縁天井で室内をあくまで穏やかに整える。派手な意匠を避け、庭と障子の陰翳で室を成立させる、料亭旅館の古典的な作法をよく守っている。

集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計したところ、山代温泉のなかで滞在満足度の水準が最も高い層に位置し、970件を超える宿泊者の評価スコアは4.62(5点満点)と、加賀温泉郷の高級料亭旅館クラスの上位に安定している。評価の傾向を見ると、料理と器の一体感、部屋出しに近い接客の丁寧さ、湯の質と量、館内の静けさが並んで支持されている。一方で、建物の古さから段差や車椅子非対応の箇所があること、価格帯が加賀の一般温泉旅館より一段高い位置にあることは、選ぶ人を分ける要素として集約に表れている。派手なアメニティや大浴場の巨大な湯船を期待する客層より、器や食、静けさに価値を置く客層に強く支持されている宿である。
向く人 / 向かない人
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向く:
器と食に眼のある夫婦旅、記念日や還暦祝いの静かな一泊、魯山人と九谷焼の系譜に関心のある人、湯町の作法を体で味わいたい和文化理解のある海外からの旅行者 -
向かない:
幼児連れの家族旅(段差多く客室出しの会席は長丁場)、大浴場の湯船の大きさや温泉アトラクション性を重視する人、洋食中心の食事を求める旅、コストパフォーマンス優先の宿選び
具体情報
- 所在: 石川県加賀市山代温泉18-119(古総湯の正面)
- 最寄り駅: JR加賀温泉駅からタクシー約10分、送迎あり(事前予約制)
- 客室数: 全18室(本館・別棟・露天風呂付き離れ)
- 客室サイズ: 12畳本間+次の間・広縁が標準、特別室20畳超
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜11:00
- 食事: 加賀懐石(部屋出しまたは食事処個室)/朝食は和定食
- 湯: 山代温泉源泉かけ流し、大浴場「天覧の湯」ほか露天風呂
- 創業: 十八代続く(藩政時代より、湯の曲輪の湯守)
立地と周辺
宿の前は古総湯。明治期の湯屋の外観を復元した木造二階建てで、湯の曲輪の中心を今も担う。徒歩数分の距離に総湯(現代の共同浴場)、服部神社、魯山人寓居跡「いろは草庵」、九谷焼窯跡展示館が並び、湯町の外を歩かずとも山代の歴史を辿れる。加賀伝統工芸村ゆのくにの森、鶴仙渓(山中温泉)、片山津温泉までは車で15〜25分の圏内で、加賀温泉郷を巡る滞在の起点にもなる。晩夏は湯町の宵が長く、行灯の灯りに浴衣の袖が涼を運ぶ時期にあたる。
編集部から
あらや滔々庵は、山代温泉の湯町の格をひとつの宿に凝縮した稀有な一軒である。魯山人の器の系譜、加賀懐石の膳、有栖川宮の記憶、そして古総湯の門前という立地が、それぞれ別々ではなく一続きの物語として館内で織り合わされている。価格は加賀の一般温泉旅館より一段高い位置にあるが、器と食の関係、湯町という空間、代を継ぐ料亭旅館の姿勢を体で理解したい旅人には、その差額は納得のいく投資である。年に一度、静かな夫婦旅の宿を選ぶなら、ここが第一候補となる。次に晩秋の蟹の時季か、雪の湯町の頃、器と料理の性格が最も澄む季節にもう一度訪ねたい宿である。
よくある質問
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 器と食を主目的にするなら、晩秋(11月から2月)が最も澄む時期にあたる。加能ガニ(ズワイガニ)の解禁が11月上旬、寒鰤が12月から2月、香箱蟹は雌ガニ限定で11月から12月末までと、能登・加賀の魚介が最も充実する。雪の湯町の風情もこの季節に限られる。晩夏(8月下旬から9月)は湯町の宵が長く、行灯の湯町散策に向く。混雑は年末年始と大型連休を避ければ、平日中心に静けさを保てる。
Q. 予約のタイミングは?
A. 全18室のうち特別室や露天風呂付きの離れは、蟹の時季(11月から2月)は3ヶ月から4ヶ月前に埋まる。それ以外の月は1ヶ月半から2ヶ月前で確保できる場合が多い。記念日や還暦祝いを想定するなら、半年前から検討したい。平日と週末の価格差は宿の性格上あまり大きくない。
Q. 子連れでも泊まれますか?
A. 建物の性格から、幼児連れの旅は積極的には勧めにくい。段差、書院造りの客室、部屋出しの長丁場、静けさを保つ館内の空気など、幼い子どもの動きと折り合いにくい要素が並ぶ。小学校高学年以降で、器や食への関心が芽生えた子どもとの三世代旅であれば、館内の魯山人資料や九谷器の話題を通じて有意義な滞在になる。
Q. アクセスは?
A. JR加賀温泉駅からタクシーで約10分。北陸新幹線の敦賀延伸で東京から加賀温泉駅まで乗り換えなし約3時間で結ばれた。宿からの送迎は事前予約制で、加賀温泉駅もしくは小松空港から手配できる。車の場合は北陸自動車道・加賀ICから約10分、宿に駐車場を備える。
Q. インバウンド客の利用は?
A. 山代温泉の高級料亭旅館クラスとしては、九谷焼と魯山人の系譜、湯の曲輪という空間、加賀懐石という食文化の三点が揃うため、和文化に理解のある欧米・アジアの旅行者にリピート層を持つ。館内は英語対応のスタッフが常駐する時間帯を持ち、魯山人資料には英語の説明が併記されている。宿の性格上、館内の静けさを尊ぶ姿勢を共有できる旅行者との相性がよい。
本記事の参考情報
・山代温泉観光協会 — 湯の曲輪と古総湯の歴史、山代の年間行事
・JNTO 加賀エリア観光ガイド — 加賀温泉郷の位置づけと北陸新幹線でのアクセス
・Wikipedia: 山代温泉 — 開湯伝承と魯山人寓居の歴史背景