晩夏の朝、客室露天の縁に腰かけると、目隠しの板塀がちょうど胸のあたりで途切れ、その上に海や渓の景がひらける。湯を客室まで引いた宿にとって、湯船を囲う塀の高さは、隣室からの視線を隔てる壁であると同時に、眼前の眺めを招き入れる窓でもある。低すぎれば落ち着かず、高すぎれば景を失う。この数十センチをどう測るか——本稿は、各地の客室露天が選んできた按配を訪ねる。
囲いの高さは、誰のためにあるか
客室露天という設えは、大浴場の解放感とは別の論理で成り立っている。湯が個の領域に入り込むほど、その湯は外の世界とどう向き合うかを、一枚の塀に託すことになる。板を高く立てれば、隣室の窓も通りの視線も遮れる。かわりに、せっかくの海や谷は塀の内に閉じ込められ、湯は空だけを相手にする。逆に塀を伏せれば景は懐へ飛び込んでくるが、身は落ち着き場所を失う。設計者はこの相反を、坐したときの目線の高さという一点で解いてきた。立てば囲われ、湯に身を沈めれば景がひらく——腰から胸のあたりで途切れる塀は、そうした身体の寸法から導かれた解答である。以下、開けの度合いを異にする三軒を、南の海から由布の森へと辿ってみたい。
海へ、低く ── 御宿 The Earth(三重・鳥羽)

Media Picks Score 86 / 100 全室が海へ開いた露天付きスイート 目安 ¥135,000〜/泊(2名1室・通常期)
太平洋に突き出した岬の突端で、湯は水平線とほとんど地続きになる。鳥羽・石鏡(いじか)、五万四千坪の森を背にした御宿 The Earthは、客室の露天をことごとく海へ向けて開いた宿である。湯船の縁から先は、低い植栽がひと筋あるだけで、あとは沖まで遮るものがない。塀を立てずに済むのは、隣室との間合いを、棟を離し木立を挟むことで先に解いているからだ。視線を隔てる仕事を塀ではなく地形と植栽に負わせ、湯そのものは眺めに専心する——開けの度合いでいえば、これは最も低い一軒である。晩夏の夕、湯面に沈む陽が朱に滲むころ、囲いのないことのぜいたくが際立つ。
渓へ、半ば ── 別邸 仙寿庵(群馬・谷川温泉)

Media Picks Score 93 / 100 全18室が客室露天付き 目安 ¥125,000〜¥151,000/泊(2名1室・通常期)
谷川岳の懐、みなかみ町谷川の千坪の敷地に、十八の客室すべてへ露天を備えた宿がある。別邸 仙寿庵の湯は、海のような遠景ではなく、すぐそこの渓と森を相手にする。近い景を招くとき、塀を伏せきると隣室が近づきすぎる。ここで選ばれているのは、腰から胸のあたりで途切れる低い格子塀だ。湯に沈めば格子の上に谷の緑が広がり、立ち上がれば視線は程よく隔てられる。近景を扱う宿ならではの、中庸の高さである。二〇一二年にルレ・エ・シャトーへ加盟し、二〇二四年にはミシュランキーを得た数寄屋は、伝統の技を今の意匠へ翻したもので、源泉は各室の露天へかけ流される。開けと隔ての釣り合いを、最も律儀に測った一軒と言える。
森へ、囲って ── 山荘 無量塔(大分・由布院)

Media Picks Score 92 / 100 全12室の離れ・大浴場なし 目安 ¥172,000〜¥194,000/泊(2名1室・通常期)
由布岳の裾、湯布院の里に、十二の離れだけを置いた宿がある。一九九二年創業の山荘 無量塔(むらた)は、新潟から移した築百年を超す古民家を再生し、それぞれの棟へ湯を引いた。ここでの塀は、低く伏せるのではなく、むしろ立てる方に振れている。客室の露天は、遠い山並みではなく、囲いの内に手入れされた竹や苔の坪庭へと開く。塀を高くとって外界を断ち、代わりに数歩先の緑を我がものとする——景を遠くに求めず、近くに囲い込む設計だ。開けの度合いでは最も閉じた一軒だが、閉じることでかえって湯浴みの密度は増す。大浴場を持たず、湯はどこまでも個の時間に属する。
按配という設計
三軒を辿って見えてくるのは、塀の高さが景の遠近と分かちがたく結びついている事実である。海のように遠い景を持つ宿は塀を伏せ、隔ての仕事を地形に譲る。谷のように近い景の宿は、腰から胸の高さで開けと隔てを釣り合わせる。そして景をあえて内に囲う宿は、塀を立てて数歩先の緑へ湯を向ける。どれが正しいというのではない。眼前に何があるかによって、湯が最も落ち着く一線は移ろう。客室露天の塀は、眺めと身体のあいだに引かれた、静かな設計の跡である。次に湯へ身を沈めるとき、その縁の高さがどこで途切れているか、確かめてみるのも一興だろう。
よくある質問
Q. 客室露天付きの宿は、子ども連れでも利用できますか?
A. 宿により方針が異なる。仙寿庵や無量塔のように大人の静けさを主眼に置く宿では、利用年齢に下限を設ける場合がある。予約前に各宿の公式案内で確認したい。
Q. 客室露天の湯は、源泉かけ流しですか?
A. 本稿の三軒はいずれも温泉地に建ち、客室の湯へ温泉を引いている。仙寿庵は各室の露天へ源泉をかけ流す。湯量や引き方は宿ごとに異なるため、公式の説明を参照されたい。
Q. 目隠しの塀があると、眺めは楽しめないのではありませんか?
A. 塀は湯に沈んだときの目線を基準に設計されることが多く、坐せば景がひらき、立てば隔てられる。海へ開いたThe Earthのように塀をほとんど設けない宿もあれば、無量塔のように囲って近景を愛でる宿もある。
Q. 客室露天のみで、大浴場を持たない宿もありますか?
A. ある。無量塔は大浴場を設けず、湯はすべて客室と貸切に属する。共同湯の賑わいより、個の時間を重んじる構えである。
本記事について
本記事は、公開レビューデータを集計した評価と、各宿の公式に確認できる情報をもとに、編集部が客室露天の設計という主題で構成したものである。塀の高さについては、実測値ではなく公式写真から読み取れる範囲で述べている。
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。