盛夏の湯場に立つと、湯舟に身を沈める湯あみとは別に、蒸気や石室の乾いた熱で身体を温める古い作法のあったことに思い当たる。湯は、注がれて浴びるものであると同時に、立ちのぼる気となり、石に蓄えられた熱となって、身体の外側からゆっくりと芯へ届く。八瀬の釜風呂、瀬戸内の石風呂、東北のむし湯。湯を浴びずに熱を受けるこの身体技法を、湯場はいかにして継いできたのか。客室露天の湯あみが当たり前になった今日、火と石と蒸気で身体を温めてきた作法の系譜を、温度と効能の数値を交えて辿ってみたい。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

湯を浴びない、という湯の作法

湯場の歴史を遡ると、温泉とは必ずしも「浸かるもの」ではなかったことに気づく。古い文献に残る湯治の風景には、湯舟に身を沈める湯あみと並んで、石室を薪で焼き、藻や葉を敷いて蒸気を立てる「石風呂」や、地熱の噴気をそのまま身体に当てる「むし湯」がしばしば現れる。火と石と蒸気で身体を温めるこれらの作法は、湯量の乏しい土地や、熱い源泉を直に浴びることのできない土地で、湯の効能を別の形で受け取るための知恵であった。

温度の設計が、湯あみとは異なる。湯舟が四十二度前後で皮膚と湯とが直に触れ合うのに対し、蒸気浴や石室は摂氏五十度から六十度ほどの、肌に触れても火傷をしない乾いた、あるいは湿った熱で身体を包む。汗が引き出されるまでの時間はゆるやかで、横たわって静かに待つ姿勢が求められる。湯あみが能動的に湯と交わる作法だとすれば、蒸気と石の作法は、立ちのぼる熱に身を委ねる受け身の作法である。湯を主語に据えれば、湯がその姿を気体や輻射に変えて、人の身体へにじり寄ってくるのだ。

京都・八瀬の釜風呂 ― 千三百年の蒸し

この作法の西の代表が、京都・洛北の八瀬に伝わる「釜風呂」である。壬申の乱に背を射られた大海人皇子が、八瀬の地で傷を癒したという伝承を持ち、千三百余年も息づいてきた日本古来の蒸し風呂とされる。土を盗り固めた半球の窯を薪で焼き、灰を掻き出してから塩水に浸した莚を敷き、その上に横たわる。窯の内は摂氏五十五度から六十度。陶製の枕に頭を載せ、湿り気を帯びた熱の中で静かに汗を待つ。

この古い作法を、今も宿の湯として継いでいるのが洛北・山端の山ばな 平八茶屋である。安土桃山の時代に若狭街道の街道茶屋として生まれ、北大路魯山人が足繁く通ったことでも知られる料亭旅館だが、その敷地に和風サウナとしての釜風呂が今も焚かれている。高野川のせせらぎを背に、陶枕を抱いて窯に横たわれば、ゆっくりと汗がにじむ。湯あみとは異なるこの蒸しの作法を、料亭の上質な滞在の中で味わえる稀な一軒である。目安価格は ¥104,000〜¥143,000(1泊2名・通常期)と、京の奥座敷にふさわしい帯にある。Media Picks Score 92。


山ばな 平八茶屋 — 京都・洛北山端 · 高野川沿いの庭園と釜風呂を継ぐ老舗料亭旅館
PHOTO: 山ばな 平八茶屋 — 公式サイトを見る →

瀬戸内の石風呂 ― 海辺に焚かれた熱

釜風呂が内陸の都で洗練を遂げたのに対し、瀬戸内の沿岸には、より素朴な「石風呂」が点在してきた。岩の窪みや積み石で築いた室を松葉や薪で焼き、火を落としてから海藻や菖蒲を敷き、その湿った蒸気の上に横たわる。漁の合間に身体を温め、潮に冷えた身を癒すための、生活に根ざした熱の作法であった。瀬戸内の島々には、寺社の管理のもとで近代まで焚かれ続けた石風呂の遺構が今も残る。湯を持たぬ土地が、火と石と海の恵みだけで湯治を成立させてきた事実は、湯場という言葉の射程の広さを教えてくれる。

この瀬戸内的な「むし」の感覚を、湯の里として最も色濃く今に伝えているのが、九州・別府の鉄輪である。海辺ではなく地獄の噴気の里だが、地熱の蒸気で身体を温め、食材を蒸す文化は瀬戸内の石風呂と地続きの発想を持つ。鉄輪の丸神屋は、砂湯とむし湯を含む六か所の湯巡りを軸に据えた宿で、噴気で身体を蒸すこの土地の作法を、現代の滞在の中に組み込んでいる。江戸期から続く「地獄蒸し」の食もまた、火を使わず噴気だけで素材に火を通す、熱の知恵の延長線上にある。Media Picks Score 89。


丸神屋 — 大分・別府鉄輪温泉 · 砂湯とむし湯を含む湯巡りを継ぐ宿
PHOTO: 丸神屋 — 公式サイトを見る →

東北・八幡平のむし湯 ― 地熱が身体を温める

そして東の極北に、地熱そのものを身体に当てる作法が残る。秋田・八幡平の山中、標高千メートルの噴気帯に開かれた後生掛温泉は、開湯三百余年を数える一軒宿である。「馬で来て足駄で帰る後生掛」と伝えられた湯治湯で、ここには湯舟に浸る湯あみのほかに、火山風呂、泥湯、そして木箱の中に座って首だけを出す「箱蒸し風呂」と、地熱で温めた床に横たわる「オンドル」がある。噴気の上に組まれた室で身体を蒸し、地熱の床で芯まで温める。湯を浴びぬ作法が、これほど豊かに併存する湯場は珍しい。

後生掛のオンドルは、地熱を利用して床を温め、その上に茣蓙を敷いて横たわる長期湯治のための装置である。新陳代謝を促し、身体を芯から温めるこの作法は、客室露天の湯あみとはまるで異なる時間の流れを持つ。短く浸かって出るのではなく、横たわり、まどろみ、汗が引いてはまた温まる。湯治という言葉が本来抱えていた「時間をかけて身体を立て直す」という意味を、後生掛の箱蒸しとオンドルは今も体現している。湯治部の宿舎と一泊二食の旅館部を選べるのも、この宿が湯治文化を生きた形で継いでいる証である。目安価格は ¥41,000〜¥47,000(1泊2名・通常期)と、長く滞在することを前提とした手頃な帯にある。Media Picks Score 93。


後生掛温泉 — 秋田・八幡平国立公園 · 湯煙に包まれる開湯三百余年の一軒宿、箱蒸し風呂とオンドルを継ぐ
PHOTO: 後生掛温泉 — 公式サイトを見る →

火と石と蒸気の系譜は、今も続く

八瀬の釜風呂、瀬戸内の石風呂、東北のむし湯。三つの作法は、湿った蒸気か乾いた輻射か、横たわるか座るか、薪の火か地熱かと、それぞれに異なる。だが根にあるのは一つの発想である。湯を浴びずとも、熱を受ければ身体は温まる。湯舟という器に依らず、火と石と蒸気で湯の効能を受け取るこの知恵は、湯量や源泉の温度に恵まれぬ土地でも、湯治を成立させてきた。摂氏五十度から六十度の、肌を灼かぬ熱に身を委ね、汗が引くのを静かに待つ時間は、湯あみとはまた別の身体の手応えを残す。

客室露天の湯あみが当たり前になった今日、これらの古い作法はむしろ稀少な体験となった。けれども、火と石と蒸気で身体を温めてきた系譜は、ここに辿った三軒のように、湯場の片隅で今も静かに焚かれ続けている。次に湯場へ向かうとき、湯舟の縁から一歩離れて、立ちのぼる蒸気や石の熱に身を委ねてみてはどうだろう。湯が姿を変えて身体に届く、その別の作法に出会えるはずである。

よくある質問

Q. 蒸し風呂・むし湯は湯あみと比べて身体にどう作用しますか?

A. 蒸気浴や石室、地熱浴は摂氏五十度から六十度ほどの、肌を灼かぬ熱で身体を外側から包みます。湯舟に浸る湯あみよりも汗が引き出されるまでがゆるやかで、横たわって静かに待つ姿勢が基本です。新陳代謝を促し、身体を芯から温める作法として古くから湯治に用いられてきました。低温やけどを避けるため、無理に長く入らず、こまめに身体の様子を確かめながら利用するのがよいとされます。

Q. 後生掛温泉のオンドルや箱蒸しはどのような作法ですか?

A. オンドルは地熱で温めた床に茣蓙を敷いて横たわる長期湯治のための装置で、箱蒸し風呂は木箱の中に座り、首だけを外に出して噴気の蒸気に身体を晒す作法です。後生掛温泉では泥湯や火山風呂、蒸気サウナなど七つの湯の形が併存し、湯治部の宿舎と一泊二食の旅館部を選べます。

Q. 京都・洛北の釜風呂はどこで体験できますか?

A. 八瀬に伝わる釜風呂の系譜を継ぐ宿として、洛北・山端の山ばな平八茶屋が知られます。安土桃山以来の料亭旅館で、敷地に和風サウナとしての釜風呂が今も焚かれ、摂氏五十五度から六十度ほどの湿り気を帯びた熱の中で、陶枕に頭を載せて横たわり汗を待ちます。

Q. 盛夏に蒸し風呂を楽しむ際の注意点は?

A. 夏場は外気温が高いため、入浴前後の水分補給を十分に行い、のぼせを避けて短めの時間で区切るのがよいとされます。蒸し風呂のあとに外の青葉や涼風に身を晒すと、汗を流し切ったあとの身体に心地よく感じられます。持病のある方は事前に宿へ相談するのが安心です。

Q. 別府鉄輪のむし湯・地獄蒸しとは何ですか?

A. 別府鉄輪は地熱の噴気が立ちのぼる湯の里で、噴気で身体を蒸すむし湯や、足元の砂を温める砂湯が伝わります。江戸期から続く「地獄蒸し」は、火を使わず摂氏約九十八度の温泉噴気だけで食材に火を通す調理法で、丸神屋のように湯巡りと地獄蒸しの食を滞在に組み込む宿があります。

本記事の参考情報

Wikipedia: 釜風呂 — 八瀬の釜風呂・石風呂の歴史的背景
鹿角公式観光サイト 旅するかづの — 八幡平・後生掛温泉のオンドルと湯治文化
京都市公式 京都観光Navi — 山ばな平八茶屋と洛北・山端の案内

編集部から

湯を主語に据えて辿ると、湯場とは湯舟だけの場所ではなかったことが見えてくる。火で焼いた石室、地熱の噴気、薪の蒸気。湯がその姿を変えて身体に届く作法を、八瀬・瀬戸内・八幡平の三つの土地は、それぞれの地質と気候のなかで継いできた。盛夏のいま、汗を流し切る乾いた熱は、夏の身体にこそふさわしいのかもしれない。次の湯治には、浸る湯と蒸す湯のどちらを選ぶだろうか。湯場の片隅で静かに焚かれ続けるこの古い作法に、一度身を委ねてみたい。

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