山形県
講中という縁、宿が代々の常客を迎えた作法 — 秋彼岸の参詣道に玉垣と講の名を残す二軒の記
講とは、参詣の元手を積み立てた共同体である。代参と先達を伴って社寺へ向かった人々は、行き先に決まった一軒を持っていた。相模大山の先導師旅館 古宮と、出羽三山手向の宿坊 大聖坊。玉垣と代々受け継がれた名に残る、宿と講中の永い縁を辿る。
村山山形、馬見ヶ崎の河原に芋煮の湯気立つ秋 — 里芋と山形牛を膳に継ぐ食通宿五軒
山形県村山地方の秋の膳を組む食通宿五軒。里芋と牛肉を醤油で仕立てる村山流の芋煮と山形牛を軸に、かみのやま温泉・天童温泉・黒沢温泉の宿を辿る。芋煮会フェスティバルの日程と山形牛の認定基準も添えて。
出羽三山羽黒山、山伏の宿坊に精進の膳を継ぐ一軒 — 盛夏の花供峰入りに杉木立の斎館を守る宿の記
羽黒山参道三の坂上、旧華蔵院の系譜を引く参籠所「斎館」。元禄十年再建、山伏の住まいを今に伝える唯一の遺構で供される出羽三山伝来の精進料理を、建物と食の来歴から辿る一軒の記。
新米という起点 — 旅館の朝餉が、その年の初穂を炊く一膳に、なぜ土地の一年を映すか
秋分を過ぎ、旅館の厨房にその年の新米が届くころ。魚沼・庄内・会津の米どころで、新米を朝餉の主役に据える食通宿三軒を、料理と土地を主語にたどる随筆。
山形赤湯、烏帽子山の裾に十四代を継ぐ一軒 — 上杉藩湯治湯に江戸中期から灯る名旅籠の記
米沢藩主・上杉家の別荘「赤湯御殿」を源に、湯を守る役職名を宿号に戴いて三百八十余年。山形・赤湯温泉、烏帽子山の裾に石岡家が代々継ぐ名旅籠を、上杉藩ゆかりの来歴と全12種の湯めぐり、毎分100リットルの名湯から単館深掘りで綴る。
出羽湯野浜、日本海の落日を一室から望む一軒 — 庄内砂丘の汀に客室露天を構える宿の記
文化十年(1813年)創業、二〇二四年四月リブランドの亀や(KAMEYA HOTEL)。全六十四室オーシャンビュー、上層階の客室露天、湯野浜の塩化物泉、庄内の膳を一軒として深く記す。
出羽銀山尾花沢、大正の三層木造を見下ろす一軒 — 銀山川の谷あいに四代を継ぐ宿の記
尾花沢・銀山温泉の谷に立つ大正十年創業の木造三層旅館・古山閣。鏝絵の表壁と登録有形文化財の建物、四代を継ぐ家族の系譜、川面と対岸を望む客間を一軒だけ深く辿る。
庄内鶴岡と湯野浜、夏の岩牡蠣と庄内おばこサワラを待つ食通宿五軒 — 出羽の海と里の食卓
立秋を前にした庄内の海は岩牡蠣と庄内おばこサワラの旬。日本海の幸と月山の伏流に育つ在来食材を膳の主役にする食通宿五軒を湯野浜・湯田川・あつみ温泉から編集部が選ぶ。
蔵王高湯、樹氷の里に三百余年を継ぐ一軒 — 強酸性の白濁湯と高見屋の数寄屋を守る宿の記
標高八百八十メートルの蔵王高湯に、享保元年から三百年余りを継ぐ深山荘 高見屋。pH一・九前後の強酸性硫黄泉と築百年超の木造の数寄屋を、緑陰の夏に静かに訪ねる。
湯坪という単位 — 旅館の湯舟の大きさを坪数で語る作法が、なぜ湯量と泉質を最も雄弁に伝えてきたか
盛夏、湯場の朝に立ち上がる湯気の量を、湯守たちは「湯坪」という独自の単位で語り継いできた。草津・別府明礬・蔵王の三湯場の老舗を辿り、坪で語る作法が湯量と泉質をいかに伝えてきたかを考察する。