静岡県
修善寺、明治五年から桂川の畔に灯る一軒 — 登録文化財の数寄屋と独鈷の湯の系譜
修善寺温泉の中心、桂川の畔に明治五年から灯る新井旅館。十五棟の登録有形文化財と檜の天平大浴堂、独鈷の湯の系譜を、湯と建物を主語に深く描く一軒。
伊豆下田、安政の開港地に残る一軒 — クアハウス石橋旅館、黒船と修善寺道のあいだに
安政の開港から百七十年。下田・蓮台寺温泉に残る創業130余年の老舗、クアハウス石橋旅館を一軒掘り下げる。
熱海初島と多賀、相模灘を望む客室露天五軒 — 梅雨明けの黒潮と岬の湯
梅雨明けの相模灘を望む、熱海・伊豆山と南熱海・多賀の客室露天(一部は貸切露天)の宿五軒。走り湯を引く高台から波打ち際の小宿まで、湯質と海への向きで選んだ。
中庭という余白 — 旅館の建築が、棟と棟の間に何を置いてきたか
書院造の壷庭から数寄屋の苔庭、現代の独立棟の坪庭まで。柊家、あさば、西村屋本館に残る三つの中庭を建築論として読み解く水無月の編集論考。
棟続きと離れの違い — 名旅館が「離れ」と呼ぶ建築の最小条件について
客室露天や半露天が普及した今日、何をもって「離れ」と呼ぶのか。母屋からの距離、廊下の有無、独立した玄関、湯の独立性。由布院・伊豆河津・阿蘇の三軒を入り口に、離れという形式の最小条件を辿る随筆。
南伊豆と西伊豆松崎、海を望む客室露天五軒 — 弓ヶ浜と岩地海岸、初夏の凪を映す湯
弓ヶ浜・下賀茂から松崎まで、南伊豆と西伊豆松崎で海と源泉を望む客室露天の宿を五軒。梅雨入り前の凪の季節に向く、湯と土地の物語で選んだ一覧。
番頭という職能 — 玄関に立ち続けた者が、宿の記憶をいかに編んできたか
番頭は明治の宿屋取締規則以降に呼称が定着し、戦後の旅館経営でも経理と渉外の両輪を担った職能である。家業継承を続ける三軒の老舗旅館を実例に、玄関に立ち続けた者が宿の記憶をいかに編んできたかを辿る。湯守・宿帳に続く職能論の三作目。
伊豆高原と修善寺、離れに過ごす晩秋の四軒 — 棟ごとの庭と湯
霜月の伊豆、修善寺・天城湯ヶ島・伊豆高原から、棟数十棟前後で各棟に専用湯を備える離れ形式の宿四軒。あさば・おちあいろう・別邸 石の家・離れ御宿 夢のや。
離れという建築の系譜 — 数寄屋から現代の独立棟へ
離れの形式は、桂離宮の数寄屋造りから明治の別邸建築を経て、現代の独立棟へと続く系譜を辿ってきた。本稿はその三段階を建築論として読み解き、各々の段階を体現する三軒の宿を引きながら語る。
離れという形式は、いかに日本の宿の到達点となったか — 桂離宮から現代の独立棟旅館まで
離れの形式は桂離宮(17世紀)の数寄屋造りに発し、明治の別邸建築、戦後の独立棟旅館へと継承された。あさば(修善寺)、三養荘(伊豆長岡)、別邸 仙寿庵(谷川温泉)の三軒を通じて、棟を分ける建築思想の系譜を辿るエッセイ。