梅雨の合間の明るい朝、湯本から芦之湯まで外輪山の谷を辿ると、湯の性が一里ごとに違うことに気づく。江戸期の七湯番付は時代を経て十七湯へ広がり、湯本の弱食塩泉、塔之澤の単純泉、強羅・小涌谷の硫酸塩泉、芦之湯の単純硫黄泉と、谷ごとに泉質を分け持つに至った。本稿は箱根を「湯質で選び直す」視座から、五つの谷を代表する名宿を編集部の視点で五軒選んだ。創業年と湯の系譜が、宿の建物と土地に深く刻まれている。
| # | 宿 | 谷 | Score | 客室 | 目安価格 | 1行特徴 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 萬翠楼福住 | 塔之澤 | 95 | 15 | ¥67–¥91k | 1625年創業、本館が国の重要文化財に指定された塔之澤の老舗 |
| 2 | 松坂屋本店 | 芦之湯 | 94 | 21 | ¥101–¥146k | 1662年創業、芦之湯七湯の系譜を継ぐ単純硫黄泉の山中宿 |
| 3 | 富士屋ホテル | 宮ノ下 | 93 | 120 | ¥102–¥210k | 1878年開業、登録有形文化財群を擁する日本最古級のリゾートホテル |
| 4 | 強羅花壇 | 強羅 | 93 | 41 | ¥168–¥264k | 元閑院宮別邸跡、大涌谷由来の硫酸塩泉を引く強羅の代表宿 |
| 5 | 箱根小涌園 三河屋旅館 | 小涌谷 | 90 | 25 | ¥72–¥95k | 1883年創業、本館が国の登録有形文化財に指定される小涌谷の名宿 |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。
1. 萬翠楼福住 — 塔之澤
早川渓谷の岩肌に張り付くように建つ寛永創業の宿、本館が国の重要文化財に指定された塔之澤の唯一無二の一軒です。
Media Picks Score: 95 / 100 15室、老舗温泉旅館。
目安価格 ¥67,000–¥91,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
湯が、四百年の建築の真下を流れている。寛永二年 (1625年) 福住九蔵が湯宿を開いて以来、福住の家系は代替わりを重ね、明治十一年に建てられた萬翠楼と金泉樓は今もなお現役の客室として使われている。本館建物は平成十四年に国の重要文化財に指定された、塔之澤の象徴的存在である。湯は自家源泉「真綿の湯」を引く弱アルカリ性単純温泉で、肌当たりの柔らかさから命名された。岩風呂と檜風呂、客室付き内湯、いずれも源泉が供給される。
集約レビューの傾向
公開レビューを集計したところ、建物の歴史的価値と湯の柔らかさへの言及が突出して高い。仕事を終えた金曜夜の到着で、軒先の行灯と早川の瀬音に迎えられた感慨を伝える声が多い。一方、文化財建築ゆえ階段や段差が残り、足腰に不安のある旅程には事前確認が必要との声もある。食事は地元の素材を吟味した会席で、季節の山菜と相模湾の魚介を組み合わせた品書きが続く。
向く人 / 向かない人
-
向く:
建築と歴史を含めて宿を選びたい夫婦旅、湯質を吟味する温泉好き、塔之澤の早川渓谷の佇まいを静かに味わいたい人 -
向かない:
段差・階段が苦手で平地建築を望む人、団体での宴会利用、近代的なスパ設備を期待する旅程
具体情報
- 最寄り駅: 箱根登山鉄道 箱根湯本駅から徒歩約6分 (タクシー約2分)
- 客室数: 15室
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜10:00
- 食事: 朝・夕ともに会席料理 (部屋食または個室処)
- 創業: 寛永二年 (1625年)
- 建築指定: 萬翠楼・金泉樓が国の重要文化財 (平成14年指定)
- 泉質: 弱アルカリ性単純温泉 (自家源泉「真綿の湯」)
2. 松坂屋本店 — 芦之湯
芦之湯七湯の系譜を継ぐ寛文創業の宿、外輪山の谷にひらかれた単純硫黄泉が四千坪の敷地で湧き続けています。
Media Picks Score: 94 / 100 21室、老舗温泉旅館。
目安価格 ¥101,000–¥146,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
湯が、白濁して谷に湧き続けている。芦之湯は標高約八五〇メートルの外輪山中の盆地で、湯本から箱根旧街道を上った地に位置する。松坂屋は寛文二年 (1662年) 創業、芦之湯七湯と呼ばれた江戸期の古湯系譜を継ぐ宿で、敷地は約四千坪に及ぶ。湯は自家源泉の単純硫黄泉で、芒硝と硫黄の成分を含み、湯口で穏やかな硫黄の匂いを立てる。昭和期に小説家・獅子文六が毎夏逗留し小説『箱根山』(1960年連載) のモデルとし、また皇族ゆかりの客室を残すなど、宿の記録に文人と要人の足跡が刻まれる。
集約レビューの傾向
公開レビューを集計すると、白濁する湯の見た目と硫黄の香りに対する印象が強く、湯本から一段上がった芦之湯の静けさを評価する声が多い。十一の客室露天と五つの貸切風呂を備える運営が、夫婦旅・友人連れの予約集中時季にも湯処を分散させる仕組みとして機能している。一方、芦之湯まで車で約二十分、旧街道沿いゆえバス便は本数が限られ、車利用が前提となる点を指摘する声も見られる。
向く人 / 向かない人
-
向く:
硫黄泉の湯質を体感したい温泉好き、街道筋の歴史を辿る夫婦旅、湯本の混雑を避けて外輪山の静けさを求める旅程 -
向かない:
公共交通のみで観光地を巡りたい人、硫黄の匂いが苦手な人、湯本周辺の観光に滞在時間を多く割きたい旅程
具体情報
- 最寄り駅: 箱根登山鉄道 箱根湯本駅から路線バスで約25分 (車約20分)
- 客室数: 21室 (うち露天風呂付客室11室)
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜11:00
- 食事: 朝・夕ともに会席料理
- 創業: 寛文二年 (1662年)
- 泉質: 硫黄泉・硫酸塩泉・炭酸水素塩泉の三成分を含む自家源泉 (芦之湯の古湯系譜)
- 敷地: 約4,000坪、五つの館に分散
3. 富士屋ホテル — 宮ノ下
明治十一年開業、日本最古級のリゾートホテル、登録有形文化財群に湯を引く宮ノ下の象徴的な一軒です。
Media Picks Score: 93 / 100 120室、クラシックリゾートホテル。
目安価格 ¥102,000–¥210,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
建物が、宮ノ下の谷筋全体を物語っている。明治十一年 (1878年)、創業者の山口仙之助が日本人初の本格リゾートホテルとして開いた一棟の洋館は、その後の増改築を経て、本館・西洋館・花御殿・フォレストウィングからなる建築群へと成長した。本館・西洋館・別館・花御殿の四棟は平成九年に国の登録有形文化財に指定されている。平成三十年から令和二年にかけての大改修を経て、令和二年七月に新生開業した。湯は宮ノ下温泉と底倉温泉の二源泉から、ナトリウム塩化物泉系を引く。
集約レビューの傾向
公開レビューを集計すると、本館階段ホールの彫刻、花御殿の鶴の彫り欄間、メインダイニング・ザ・フジヤの折上格天井など、明治-昭和初期の意匠への評価が顕著に集まる。客室は文化財棟と新棟で価格と仕様が異なり、文化財棟は段差・高低差があるため事前確認が必要との声がある。料理はクラシックフレンチが伝統的に評価される一方、和食の好みは分かれる。
向く人 / 向かない人
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向く:
明治-昭和初期の建築意匠を含めて宿を選びたい夫婦旅、クラシックホテルでの記念日、洋食 (フランス料理) を主目的にする旅程 -
向かない:
和の旅館建築のみを志向する人、料理の和洋折衷が好みでない人、文化財棟の段差を避けたい旅程 (新棟指定が必要)
具体情報
- 最寄り駅: 箱根登山鉄道 宮ノ下駅から徒歩約7分
- 客室数: 120室 (本館・西洋館・花御殿・フォレストウィング)
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜11:00
- 食事: メインダイニング「ザ・フジヤ」のフランス料理、日本料理「旧御用邸 菊華荘」
- 創業: 明治十一年 (1878年)
- 建築指定: 本館・西洋館・別館・花御殿が国の登録有形文化財 (平成9年指定)
- 泉質: 宮ノ下温泉系・底倉温泉系 (ナトリウム-塩化物泉)
4. 強羅花壇 — 強羅
元閑院宮別邸跡の敷地に湯を引く強羅の代表宿、大涌谷由来の硫酸塩泉が四十一室それぞれに供給されています。
Media Picks Score: 93 / 100 41室、和風モダン温泉旅館。
目安価格 ¥168,000–¥264,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
敷地が、強羅の地形の物語を持っている。強羅花壇は閑院宮家の別邸として大正期に造られた土地に、昭和二十三年 (1948年) 旅館として開業した。「強羅」は深山幽谷の地名、「花壇」は西国の宮家が外国の賓客を迎える際に用いた邸宅の呼称で、敷地は箱根登山鉄道強羅駅の北側、外輪山中腹の傾斜地に展開する。湯は大涌谷の造成泉を含むカルシウム-硫酸塩・塩化物泉系を引き、全客室に源泉掛け流しの内湯が供給される。料理は懐石を基本に、季節の山菜と相模湾の魚介を組み合わせる。
集約レビューの傾向
公開レビューを集計すると、客室全室が源泉付きである点と、敷地内の庭園・茶室の佇まいが評価軸として継続的に出現する。和の様式を保ちつつ近代的な空調・照明を融合した運営が、年配の夫婦旅から海外旅行者まで幅広い層に支持される一方、価格帯は箱根の中でも上位に位置し、予算枠と相談する声も見られる。仲居の対応については均質性が高いとの言及が安定して並ぶ。
向く人 / 向かない人
-
向く:
記念日・特別な滞在を計画する夫婦旅、源泉掛け流しの客室内湯を必須とする旅程、和の様式の中で食と湯を吟味する人 -
向かない:
箱根観光地巡りで宿に戻る時間が短い旅程、宿の予算を一泊¥80,000以下に抑えたい旅程、洋食中心の食を望む人
具体情報
- 最寄り駅: 箱根登山鉄道 強羅駅から徒歩約5分 (送迎あり)
- 客室数: 41室 (全室源泉付き)
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜11:00
- 食事: 懐石料理 (部屋食または個室処)
- 創業: 昭和二十三年 (1948年)、敷地は閑院宮別邸跡
- 泉質: カルシウム-硫酸塩・塩化物泉 (大涌谷造成泉系を引湯)
5. 箱根小涌園 三河屋旅館 — 小涌谷
明治十六年創業の小涌谷の老舗、本館の唐破風屋根が国の登録有形文化財に指定された谷筋の名宿です。
Media Picks Score: 90 / 100 25室、老舗温泉旅館。
目安価格 ¥72,000–¥95,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
本館が、小涌谷の谷筋に唐破風の屋根を架けている。三河屋旅館は明治十六年 (1883年) 榎本恭三により創業、近代になって藤田観光リゾートの運営に組み込まれた。本館は明治期の数寄屋造りで、特徴的な唐破風屋根を持つ建築が国の登録有形文化財に指定されている。湯は小涌谷温泉のナトリウム-塩化物・硫酸塩泉系で、大涌谷からの引湯と小涌谷の自家源泉を併せて運用する。庭園「蓬莱園」は明治末期に作庭された回遊式庭園で、春は石楠花、秋は紅葉の名所として知られる。
集約レビューの傾向
公開レビューを集計すると、本館の唐破風建築と庭園「蓬莱園」の佇まいに対する評価が中心軸として継続する。客室は本館と新館で価格と仕様が大きく異なり、文化財棟である本館は建築価値ゆえに段差・配置の制約が残る。料理は会席を基本に、神奈川県内および周辺県の食材を組み合わせる。湯本駅からバスで約二十分、宮ノ下と強羅の中間に位置する立地から、観光動線の起点としても機能する。
向く人 / 向かない人
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向く:
明治期の数寄屋建築を含めて宿を選びたい夫婦旅、強羅・大涌谷観光と組み合わせる旅程、庭園「蓬莱園」の作庭を吟味する人 -
向かない:
バス便を使わず駅至近の宿を望む旅程、新築で均質な客室仕様を望む人、価格を一泊¥50,000以下に抑えたい旅程
具体情報
- 最寄り駅: 箱根登山鉄道 箱根湯本駅から路線バスで約20分 (「蓬莱園」停徒歩約2分)
- 客室数: 25室 (本館・新館)
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜10:00
- 食事: 朝・夕ともに会席料理
- 創業: 明治十六年 (1883年)
- 建築指定: 本館が国の登録有形文化財
- 泉質: 単純温泉 (低張性・弱アルカリ性・高温泉、明治より受け継ぐ自家源泉)
よくある質問
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 編集部が推す時季は梅雨明けの七月中旬から下旬、および霜月 (十一月) の紅葉期です。梅雨明け直後は外輪山の湧出量が安定し、自家源泉宿の湯量を最も実感できます。霜月は強羅・小涌谷の紅葉と湯気の対比が美しく、年配の夫婦旅にも気候負担が少ない時季です。盛夏の八月および年末年始は箱根全域で混雑し、価格も¥10,000-¥30,000ほど上昇する傾向があります。
Q. 予約のタイミングは?
A. 萬翠楼福住・強羅花壇など客室数が二十室以下の宿は、土曜泊の場合は二-三ヶ月前から埋まり始めます。富士屋ホテルは客室数が百二十室と多いものの、登録文化財棟の指定客室は希少で、同じく二ヶ月前の予約が無難です。平日泊であれば二週間前でも空室を見つけられる谷もあり、湯本・芦之湯方面は比較的取りやすい傾向です。
Q. 箱根十七湯とは何ですか?
A. 江戸期の「箱根七湯」(湯本・塔之澤・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯) に対し、近代以降に開発された姥子・大涌谷・小涌谷・強羅・仙石原・芦ノ湖・大平台・蛸川・湯ノ花沢・芦之湯新湯を加え、現在は計十七の温泉地として総称されます。谷ごとに地質と湧出温度が異なり、泉質も弱食塩泉・単純泉・硫酸塩泉・硫黄泉と多様です。
Q. 子連れでも泊まれますか?
A. 萬翠楼福住・強羅花壇は文化財建築と静謐な滞在を主旨とするため、未就学児の宿泊を制限する期間があります。富士屋ホテル・三河屋旅館は家族での宿泊を受け入れており、客室タイプの選択肢も多めです。松坂屋本店は露天風呂付客室が中心で、子連れの場合は事前に客室タイプを宿に確認することを推奨します。
Q. アクセスは?
A. 新宿から小田急ロマンスカーで箱根湯本駅まで約85分、東京駅から東海道新幹線で小田原駅まで約35分、小田原から箱根登山鉄道で湯本まで約15分です。湯本・塔之澤は駅徒歩圏、宮ノ下・強羅は箱根登山鉄道、小涌谷・芦之湯は箱根登山バスで二十-二十五分です。芦之湯方面は車利用が無難で、湯本駅前および小田原駅前の駐車場と組み合わせる選択肢もあります。
本記事の参考情報
・箱根町観光協会 — 箱根十七湯および温泉地別の公式観光案内
・Wikipedia: 箱根七湯 — 江戸期の七湯番付から十七湯への系譜
・文化庁 国指定文化財等データベース — 重要文化財・登録有形文化財の指定情報
編集部から
箱根を湯質で選び直すという視座は、谷ごとに湧き続ける湯と、それを受け止めてきた建築の系譜を辿る作業に近い。寛永創業の萬翠楼福住、寛文創業の松坂屋本店、明治十一年開業の富士屋ホテル、明治十六年創業の三河屋旅館。創業年が古いほど、湯と建物が一体となって土地に刻まれていることに気づく。次は十七湯のうち本稿で触れなかった姥子・仙石原・大平台の三谷を、別の季語のもとで編集部が編んでみたい。