秋の長雨が石畳を濡らす頃、島根県大田市の温泉津(ゆのつ)に、明治四十三年から木造三階を守り継ぐ一軒がある。旅館ますや——石見銀山の銀を積み出した外港の町で、かつて廻船問屋を営み、のちに旅館へ転じた宿である。温泉津は、江戸末期から昭和初期の町家が谷あいの通りに連なり、「温泉町」としては全国で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた湯町でもある。その町並みのなかで、いまはもう建てることの叶わない木造三階建てが、七室の料理宿として現役でいる。本稿は、港の記憶と、梁と、塩を帯びた湯を辿る一軒の記である。
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

湯町の記憶と、廻船問屋の家
湯が、町の成り立ちそのものを決めた。温泉津の開湯はおよそ千三百年前と伝えられ、湯に浸かって傷を癒す狸を見つけたのが始まりという話が残る。だがこの町を大きくしたのは、湯だけではない。谷を切り開いた八百メートルほどの通りの先には沖泊があり、十六世紀後半、石見銀山の銀はここから海へ出ていった。銀を積んだ船が入り、湯治客が入り、町家と旅館と寺社が同じ通りに並んだ。二〇〇七年に世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」が登録されたとき、この港町も、その景観の一部として数えられている。
旅館ますやは、かつてその廻船問屋の一軒であった。船と荷を扱った家が、明治四十三年(一九一〇年)に旅館として看板を掛け替える。以来、代を重ねて百年余。大田市観光協会の記述によれば、温泉津温泉で最初に板前を置いたのもこの宿だという。港の商いから宿の商いへ、そして料理を軸とする宿へ——その移り方が、いまの建物のかたちにそのまま残っている。
木造三階という建築

木造三階建ての旅館は、現行の法のもとでは新たに建てることが難しい。だからこの構えは、意匠であると同時に、時代の証書でもある。公式サイトも「今は建てられないため、現存していること自体が珍しい」と率直に記す。
建物が面白いのは、一様でないことだ。明治から令和にかけて改装と改築が繰り返され、その時々の設えが層になって残っている。客室「潮騒」は大正期に長屋だった面影をそのまま留め、当時の屋根をあえて露しにして、ぐにゃりと曲がった梁を見せる。三階に上がれば、客室は「朝凪」ただ一室。三つの居間が連なり、夏まつりの花火を望む位置にある。赤い絨毯を敷いた階段と、長い廊下に並ぶ古物の数々は、どの時代のものとも言い切れないまま同居している。
ロビーには、石見神楽の面職人・小林泰三氏が石州和紙で制作した三連のレリーフが掛かる。柿渋を漉き込んだ和紙で、スサノオノミコトの伝承を右から左へ物語として組み、そこに龍御前神社と、この宿の原点である船信仰、さらに神楽の世界観をなす五行思想を織り込んだという。土地の芸能と、港の信仰と、宿の来歴が一枚の壁で重なる仕掛けである。
七室と、三つの湯

客室は七室。和室と和洋室が混じり、広さは一名専用の「上潮」二三・一三㎡から、三間を続けて使う「金波」九五・八八㎡まで開きがある。竹下登元総理が泊まった「富士」は四〇・〇四㎡、中庭を望む「夕潮」は三九・三〇㎡。同じ宿のなかで、明治の間と、大正の梁と、近年に整えられた和洋室が併存している。七室という数は、この規模の木造にとって静けさの条件でもある。
湯は、館内に源泉かけ流しの内湯が三つ。いずれも貸切で使える。名は「沖泊」「櫛島」「波路浦」——すべて温泉津の海と港の地名である。「沖泊」の浴室は、流れ出た溶岩のような湯の花が岩肌に厚く堆積し、湯の濃さをそのまま形にしている。「櫛島」は、手掘りのノミ跡やハナグリ岩を思わせる岸壁を眺めながら湯に浸かる構え。「波路浦」は脱衣場から浴槽までの一面がガラス張りで、窓の外に岸壁が立つ。大浴場の広さで勝負する宿ではなく、湯そのものの質と、貸切という距離の取り方で応える宿である。
料理宿としての百年

この宿が自らに掲げる看板は「料理宿」である。公式サイトの記述は具体的で、品書きは当日仕入れた魚によってほぼ毎日変わり、冷凍で同じ魚を使うことはしない。会席の主役は刺身と天然魚の料理、品数は十品ほどが目安。すべて手仕事で組まれ、膳は客室に運ばれる。器は地元の温泉津焼を中心に選び、神楽の意匠をあしらった一皿も混じる。
日本海の魚は、同じ名でも揚がる場所と時期で味が変わる。それを均さずに、その日の状態に合わせて仕立て直す——という姿勢は、料理旅館としての百年をいちばん端的に言い表している。名の通った魚だけを並べるのではなく、なじみの薄い魚もその日獲れた分だけ膳に置く。港町の宿らしい献立の立て方である。
集約レビューが映すこの宿の本質
公開レビューデータを集計すると、この宿への評価は建物と食事の二点に強く集まる傾向が見て取れる。木造三階の空間そのものを目的として訪れた層の満足度が高く、廊下や梁、階段といった「客室の外」に対する言及が多いのが特徴である。料理についても、品数や豪華さより、その日の魚をどう出すかという設計に反応が集まる。
一方で、評価が割れやすいのも同じ理由による。明治・大正の建物を活かした宿であるから、新しいホテルの均質な快適さを基準にすると、段差や音、設備の年代差は気になり得る。大浴場や露天を旅の主目的に据える人にとっても、貸切内湯三つという構成は期待とずれる。編集部の見立てでは、この宿は「湯場のスケール」ではなく「町と建物と膳の一体感」を買う宿である。そこが噛み合えば、評価は高いところで安定する。
湯町を歩く — 震湯、元湯、そして夜神楽

宿を出れば、通りには二軒の外湯がある。ひとつは「元湯」、古くは旧湯と呼ばれた自噴の湯。もうひとつが「薬師湯」で、こちらは新湯と呼ばれ、文字では「震湯」とも記された。名の由来は明快である。一八七二年(明治五年)二月六日夕刻の浜田地震によって、それまで少量しか溢れていなかった湯が本格的に湧き出した——湧出の動機がそのまま名になった。薬師湯は日本温泉協会の天然温泉審査で最高評価の「オール5」を受けた湯として知られ、その旧館は大正期の木造洋館で、いまは震湯カフェとして使われている。
土曜の夜には、龍御前神社で石見神楽の定期公演が行われる。拝観時間は二十時から二十一時三十分、拝観料は一席二千円、全席予約制。社殿のなかで、鬼が現れ、大蛇がのたうつ。ロビーの和紙レリーフに彫り込まれた世界が、歩いて数分の社で実際に舞われている——という土地の連なりが、この湯町の面白さである。夜神楽を目的に組むなら、土曜泊が前提となる。
具体情報
- 所在地: 島根県大田市温泉津町温泉津ロ32
- 創業: 明治43年(1910年)/前身は廻船問屋
- 構造: 木造3階建て(3階の客室は「朝凪」1室のみ)
- 客室: 7室(和室・和洋室)/23.13㎡〜95.88㎡
- 湯: 源泉かけ流しの内湯3つ(沖泊・櫛島・波路浦)、いずれも貸切利用
- 食事: 当日仕入れの天然魚を中心とした会席10品ほど、客室で提供
- 館内: 宴会場30畳(最大36名)、中庭(シンボルツリーはクロガネモチ)
- アクセス: JR温泉津駅下車、駅前から大田市営バス温泉津線(たぬきバス)で無料送迎の案内あり(15〜18時)/山陰道 温泉津IC/出雲空港から約1時間30分/無料駐車場あり
- 目安価格: ¥42,000〜¥74,000(1泊2名1室・通常期)
こんな旅人に
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向く:
建物そのものを旅の目的にする人、湯治場の町並みを歩きたい夫婦旅、日本海の魚を献立の軸に置きたい人、土曜の夜神楽と組み合わせて泊まる旅程、一名専用室のある宿を探す一人旅 -
向かない:
広い大浴場や露天風呂を主目的にする旅(湯は貸切の内湯三つ)、新築ホテルの均質な設備を基準にする人(明治・大正の躯体を活かした建物)、公共交通のみで夜遅くに到着する日程(列車の本数が限られる)
Media Picks Score
93 / 100 — 内訳の考え方は、公開レビューデータの集計を土台に、立地(世界遺産の港町かつ重要伝統的建造物群保存地区)、建物(現存する木造三階建て)、湯(源泉かけ流しの貸切内湯三つ)、食(当日仕入れの天然魚会席)、そして編集適合度を加味した総合指標である。七室という規模ゆえ、繁忙期の選択肢は限られる。
目安価格 ¥42,000–¥74,000 / 泊 (2名1室・通常期)
よくある質問
Q. 湯はどのような構成ですか?
A. 館内には源泉かけ流しの内湯が三つあり、いずれも貸切で使えます。大浴場や露天風呂はありません。町の外湯として「元湯」と「薬師湯」があり、薬師湯は日本温泉協会の天然温泉審査で最高評価とされた湯として知られます。宿の湯と外湯を一泊で二種類味わう、という組み立てが温泉津らしい過ごし方です。
Q. 食事はどのようなものですか?
A. 会席は刺身と天然魚の料理を主役に十品ほど。当日仕入れた魚によって品書きはほぼ毎日変わり、冷凍の同じ魚は使わないと公式サイトに明記されています。膳は客室に運ばれ、器は地元の温泉津焼が中心。魚の名を指定した注文には向きませんが、その日の日本海を素直に映した献立が届きます。
Q. 夜神楽はいつ観られますか?
A. 石見神楽の定期公演は、宿から歩いて向かえる龍御前神社で土曜の夜に行われます。拝観は二十時から二十一時三十分、一席二千円、全席予約制です。日程は神社の行事により変更されることがあるため、旅程を組む前に主催側の予定表で確認するのが確実です。
Q. 子ども連れでも泊まれますか?
A. 各客室に添い寝の子どもを含む定員が設定されており、家族での利用はできます。ただし明治・大正の躯体を活かした木造三階建てで、階段や廊下に年代差があります。大田市観光協会の施設情報にはバリアフリー対応の記載もあるため、必要な配慮は事前に宿へ直接確認するのが安心です。
Q. 公共交通でも行けますか?
A. JR山陰本線の温泉津駅が最寄りで、駅前ロータリーに停まる大田市営バス温泉津線(たぬきバス)を使う案内が公式サイトに出ています。「旅館ますやまで」と伝えれば無料で利用でき、運行はおおむね十五時から十八時。出雲空港からは約一時間三十分。一部の急行が温泉津駅に停まらない点は、旅程を組む際の注意事項です。
本記事の参考情報
・旅館ますや 公式サイト — 創業年、客室、湯、料理、アクセス
・島根県大田市観光サイト(大田市観光協会) — 廻船問屋からの沿革、木造三階建て料理旅館
・しまね観光ナビ(島根県公式観光情報サイト) — 温泉町として全国唯一の重要伝統的建造物群保存地区、沖泊と銀の積出
・全国伝統的建造物群保存地区協議会 — 温泉津地区の町並みの成り立ち
・薬師湯 公式サイト — 天然温泉審査の評価、旧館(震湯カフェ)
・温泉津温泉 元湯 泉薬湯 — 浜田地震と「震湯」の名の由来
・温泉津めぐり(夜神楽 予定表) — 龍御前神社の定期公演の時間・拝観料・予約方法
編集部から
温泉津を歩いていると、銀の港であった時間と、湯治場であった時間が、同じ通りの上で折り重なっているのが分かる。旅館ますやは、その二つの時間をどちらも自分の履歴として持っている稀な一軒である。廻船問屋の家が旅館になり、板前を置いて料理宿になり、木造三階のまま令和まで来た——その連なりを、建物と膳の両方で確かめられる。
七室という規模は、繁忙期には壁になる。だが逆に言えば、この町の静けさと釣り合う数でもある。秋の長雨のあと、湯町の石畳が乾ききらないうちに訪ねるのが、編集部の推す時季である。銀山の坑道跡と大森の町並みを歩く旅と結べば、島根の西側だけで二泊三日が組める。次はどの湯町の、どの梁の下で夜を過ごすか。
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