白露の候、湯町を歩くと、夕暮れの湿った石畳を下駄が鳴らす。宿の玄関を出て、浴衣のまま里の共同浴場へ足を運ぶこの所作を、日本の温泉文化はおよそ千年の長さで営んできた。城崎、野沢、湯田中渋、別所——湯町と呼ばれる古い温泉集落は、宿の内湯とは別に、里が共同で守る「外湯」を持つ。宿は戸口の湯場を里に返し、里は宿泊者に鍵を貸し、清掃と湯守の当番を回してきた。本稿は、その宿と町のあわいで結ばれてきた小さな契約——外湯という共同体——について、白露から寒露へ向かうこの季節に、二軒の宿を軸に辿る。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

外湯とはなにか — 里が持ち、宿が返してきた湯

外湯という言葉は、宿の内湯に対して、湯町の共同体が管理する共同浴場を指す。江戸期の湯治文化の中で、湯は個の所有物ではなく、里が総有する資源として扱われた。源泉は多くの場合、村落の共同財産であり、湯口ごとに湯守が置かれ、掃除・湯替え・湯温調整の当番が家々を回った。宿は、里の湯を借りて営みを立ててきた側であり、内湯を持つことは近代以降の贅沢だった。

今日の湯町を歩くと、この構造の残滓が、宿の玄関の鍵箱に、共同浴場の暖簾に、そして「湯仲間」と呼ばれる住民組織の名簿に見て取れる。宿の内湯だけで完結する滞在は、湯町という土地の作法を半分だけ味わうことになる。外湯へ足を運ぶという所作こそが、湯町の宿に泊まる意味の芯にある。

城崎温泉 — 七つの外湯を、宿の鍵で開ける

兵庫県豊岡市城崎町の温泉街は、大谿川に沿って一本道の湯町として形成された。一の湯、鴻の湯、御所の湯、まんだら湯、地蔵湯、柳湯、さとの湯——七つの外湯が街道の各点に配置され、宿泊者は宿から借りた「ゆめぱ」と呼ばれるパスで、期間中は何度でも巡ることができる。この制度は、江戸期の「湯札」——各宿が発行する外湯入湯券——の系譜を、電子タグに置き換えたものだ。

西村屋本館 — 兵庫県豊岡市城崎町

江戸安政年間創業、城崎の外湯文化と最も長く歩調を合わせてきた一軒。数寄屋造りの大広間が、七湯めぐりの起点となる。

Media Picks Score: 95 / 100  34室、料理旅館・山陰随一の純日本旅館。

目安価格 ¥178,000–¥225,000 / 泊 (2名1室・通常期)


西村屋本館 — 城崎温泉・大谿川沿いの数寄屋造り旅館、江戸安政年間創業の外湯文化の起点
PHOTO: 西村屋本館 — 公式サイトを見る →

大谿川の川筋に立つ数寄屋造りの本館は、江戸末期の安政年間の創業を伝える。城崎の外湯制度は、明治初期に町の温泉株組合として整備され、宿は組合員として湯代を負担しつつ、宿泊者に外湯券を貸与してきた。この制度が今日の「ゆめぱ」に連なる。館内の内湯——「尚の湯」「吉の湯」「福の湯」——を持ちつつも、宿は外湯を主とし内湯を副とする姿勢を長く維持してきた。夕食の後、女将が外湯までの道筋を案内する時の口調に、外湯を「うちの湯の続き」として語る所作が残る。

公開レビューの集約からは、料理と接客の練度への高い評価が読み取れる一方、価格帯の高さから世代を選ぶ傾向も見える。江戸期からの純日本旅館という構造は、廊下の細さ、部屋の襖の薄さ、風通しの良さといった、現代の高規格ホテルとは異なる作法を求める。この「作法」を旅の目的として選ぶ滞在者に、深く合う一軒である。

白露から寒露へ、この宿で味わえる季節

白露の頃、城崎は夕暮れの湿度がまだ高く、下駄で外湯へ向かう道の石畳が湯気を吸い込む。夕食は但馬牛と地魚を軸にした会席が定番だが、この季節は松茸の土瓶蒸しと、余部の甘鯛の焼き物が重なる時期にあたる。宿の内湯を短く済ませ、外湯を二〜三軒巡る所作こそが、城崎らしい過ごし方である。


野沢温泉 — 「湯仲間」が守る十三の外湯

長野県下高井郡野沢温泉村。北信の山懐の斜面に張り付く湯町には、大湯を筆頭に十三の外湯がある。地元では「共同湯」と呼び、村の中で「湯仲間」——江戸期以来の住民組織——が今も清掃当番を回している。旅館の主人自身が輪番で朝の湯替えに立つ姿は、湯田中や城崎の制度化された組合とは異なる、より小さな共同体の姿を残している。

宿泊者は外湯を無料で利用できるが、これは「湯仲間」の善意の外側にある慣行であり、旅館は寄付や賽銭という形で外湯の維持費を里に返してきた。宿の玄関に置かれた大湯までの案内板は、宿が外湯を主とし、内湯を補助として位置付けている態度の表明でもある。

野沢温泉 桐屋旅館 — 長野県下高井郡野沢温泉村

敷地から自噴する源泉を持ちながら、宿は「外湯めぐりに便利な立地」を第一に語る。湯仲間の作法を宿泊者に手渡す一軒。

Media Picks Score: 91 / 100  14室、源泉100%かけ流しの温泉旅館。

目安価格 ¥26,000–¥34,000 / 泊 (2名1室・通常期)


野沢温泉 桐屋旅館 — 敷地から自噴する生源泉、外湯十三湯めぐりの拠点となる小規模旅館
PHOTO: 桐屋旅館 — 公式サイトを見る →

桐屋旅館は敷地内から自噴する生源泉を持ち、館内に24時間利用可能な内湯を備える。それでいて宿は自らを「外湯めぐりに便利な立地」と語る。この配列——内湯を持ちながらも外湯を主軸に置く——は、湯仲間の作法を宿泊者に手渡すという、湯町の宿としての姿勢の表明である。館主は湯仲間の一員として輪番の清掃当番を担い、宿泊者に外湯の作法——湯を汲む柄杓の使い方、湯温の高さ、地元の方が入る時間帯の目安——を折に触れて伝える。

公開レビューの集約からは、宿の温泉そのものへの高い評価に加え、外湯めぐりの立地とスタッフの案内への支持が読み取れる。14室の小規模宿という構造は、朝夕の食事時に館主・女将と言葉を交わす距離感を残し、湯町の作法を旅の一部として持ち帰る滞在を可能にする。価格帯は城崎の高級宿とは大きく離れるが、外湯という共同体の中に身を置くという体験の質は、価格の桁とは別の軸で測られる。

白露から寒露へ、この宿で味わえる季節

野沢の白露は、朝夕の空気が既に涼しく、日中の残暑と夕方の冷えの落差が大きい季節だ。この温度差が外湯の湯を最も心地よくする。大湯を朝五時に訪ね、朝食後に麻釜(おがま)の湯畑を歩き、夕方に上寺湯・松葉の湯を巡るという一日は、桐屋を拠点にすれば徒歩圏で完結する。食事は信州の川魚と山菜、地の野沢菜を軸にした素朴な献立が季節を映す。


湯田中渋と別所温泉 — 制度の別の顔

参考として、湯田中渋温泉と信州上田・別所温泉の外湯制度にも触れておく。湯田中渋の外湯——渋温泉の九湯——は、宿の外湯鍵を宿泊者にのみ貸与するという古い作法を今も残しており、日帰り客が入れない外湯が複数ある。宿泊という契約が、里の湯を開ける鍵になるという構造が最も明瞭に残された湯町である。

一方、別所温泉は、真田氏の時代からの湯町として大湯・大師湯・石湯の三外湯を持つが、宿と町の関係は湯仲間型の共同管理よりも、上田市の公営運営の色合いが強い。外湯の運営が民から公へ移行した後の湯町の姿として、比較の視座を与える。制度は一つではなく、湯町ごとに歴史が違う顔を作ってきた。

宿が湯を里に返すということ

近代の温泉宿の多くは、内湯を売り物にすることで営業を成立させてきた。「客室露天」「貸切風呂」「大浴場」といった言葉は、湯を宿の資産として囲い込む方向の技術である。だが、湯町の宿は、この囲い込みに対して一線を引いてきた。内湯を持ちつつも、外湯を主とし、宿泊者を里の共同浴場へと送り出す。この「戸口の湯を里に返す」所作こそが、湯町の宿を湯町の宿たらしめてきた。

白露から寒露へ向かうこの季節に、湯町へ足を運ぶ意味は、単に湯につかることを超えて、宿と里の間に結ばれた小さな契約の残りを、旅人として一時的に借り受けることにある。夕暮れの下駄の音が、その契約の音である。

よくある質問

Q. 外湯とは何ですか。宿の内湯とはどう違いますか。

A. 外湯は湯町の共同体が管理する共同浴場で、宿の内湯とは別の系統に属する。歴史的には湯町の里が総有してきた資源で、宿は組合員あるいは湯仲間として湯代・清掃費を負担しつつ、宿泊者に外湯の利用権を仲介してきた。城崎の七湯、野沢の十三湯、渋温泉の九湯などが代表的な例で、宿泊者は宿から借りた鍵やパスで湯めぐりができる。

Q. 外湯は宿泊しなくても入れますか。

A. 湯町によって異なる。城崎温泉は日帰り客も有料で入湯できる湯が多い一方、渋温泉の外湯の多くは宿泊者に貸与された鍵でしか開けられない構造を残す。野沢温泉の共同湯は基本的に無料で誰でも入れるが、湯仲間の維持費への賽銭が慣習となっている。

Q. 白露(9月上旬)の湯町はどのような季節ですか。

A. 日中の残暑と朝夕の涼が同居する季節で、湯につかる温度感が最も心地よい時期の一つ。城崎は但馬牛・松茸・甘鯛が食卓に重なり始める頃、野沢は朝夕の冷えが涼しく、標高の高い山湯の温度が引き立つ。混雑は9月中旬の連休を除けば夏や冬より穏やかで、外湯めぐりの初手として編集部が推す時期にあたる。

Q. 湯めぐりの作法で守るべきことはありますか。

A. 外湯は里の生活の場でもあり、地元の方が朝夕に日常的に利用している。長湯を控える、大声を出さない、写真撮影は控える、湯をかけて汗を流してから入る、といった基本の作法を守ることが宿泊者としての最低限の礼儀となる。桐屋旅館のように、館主や女将が外湯の作法を折に触れて伝える宿もあるので、宿の案内に従うのが最も安全である。

Q. 外湯めぐりに向く服装や持ち物は。

A. 宿から浴衣・丹前・下駄・タオル一式が貸与されるのが通例。手ぶらで玄関を出て、湯上がりに宿へ戻るという一連の流れが湯町の作法である。白露から寒露にかけては、夕方の冷え込みに備えて丹前の上に羽織を一枚重ねる宿もある。

本記事の参考情報

城崎温泉観光協会 — 外湯めぐり「ゆめぱ」制度と七湯の案内
野沢温泉観光協会 — 十三の共同湯と湯仲間文化
Wikipedia: 外湯 — 制度史・地域差の概説

編集部から

湯町の宿を語るとき、宿の内湯の設え——檜の湯船、露天の眺め、湯質——ばかりが取り上げられがちである。だがその手前に、宿と町の間に長く結ばれてきた小さな契約——湯を里に返し、里が宿泊者に鍵を貸すという相互性——がある。この契約は、湯町の宿を高級旅館と均質化しない最後の砦であり、宿の価格帯や設備の等級とは別の軸で、その土地に泊まる意味を作り出してきた。白露の下駄の音を聞きに、次の秋、湯町へ足を運ぶことを勧めたい。次回は、湯町ではなく、湯守そのものが宿の主でもあり続けた「湯宿の系譜」について書く予定である。

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