梅雨に入る前の薄曇りの午後、ある老舗旅館の女将と話していて、ふと、客室の襖の向こう側にずっと立ち続けてきた者たちのことを書きたい、と思った。仲居である。宿の温度を守ってきたのは、女将でも料理長でもなく、客室付きで給仕をし、寝具を上げ下げし、湯加減を伺い、宿帳を取り次いできた、彼女たちの手と声であった。本稿では、創業百年を越える三宿を訪ね、仲居という職能が今どのように継がれているのかを、簡略な記録として残しておく。
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。
飯盛女から客室係へ — 職能の輪郭
仲居という呼称が定着したのは、思いのほか新しい。江戸期の旅籠には飯盛女と呼ばれる女性が置かれ、給仕と接客、ときに同衾までを担っていた。明治の宿屋取締規則がこれを禁じ、給仕に専念する女中が雇われるようになる。戦後、住み込みの女中制度が解体されていく過程で、客室を一人で受け持つ職能として現れたのが、現在の仲居である。襖の開け閉ての所作、配膳の順序、布団敷きの折り目、それらは口伝で継がれてきた。マニュアル化はしばしば試みられたが、その都度、形だけが残り、温度は失われたという。
本稿で訪ねた三宿はいずれも、明治から大正にかけて創業し、戦中戦後の困窮を超え、今日まで仲居制度を維持している。客室付き、すなわち一人の仲居が二室から四室を受け持ち、到着から出発までを一貫して担う形である。この形態は、雇用の合理化という観点では極めて非効率に映る。しかし、宿の温度というものは、この非効率の中にしか宿らない、と複数の女将が口を揃えた。
信州 — 湯田中温泉 よろづや、桃山風呂の朝

Media Picks Score: 93 / 100 38室、信州湯田中温泉の老舗旅館。
目安価格 ¥58,000–¥74,000 / 泊 (2名1室・通常期)
湯田中温泉のよろづやは、天保年間の創業と伝えられ、登録有形文化財の桃山風呂と松籟荘を擁する。朝、桃山風呂の障子越しに射し込む光の中で、年配の仲居が湯加減を確かめにくる時間がある。「お加減いかがでしょう」と声を掛け、湯口の竹筒を一度叩き、また襖の向こうへ戻っていく。この所作は、誰かに教わったというより、ここで働いてきた者たちの背中を見て覚えたのだ、と五十年勤続の仲居は語った。よろづやでは現役の最年長仲居が在籍五十年を超え、若手への口伝は今もこの宿の最も大切な仕事の一つに数えられている。歩合制ではなく月給制を維持し、賄いは本館の調理場で女将自ら配膳することがある。客室は一人で四室まで、繁忙期でも五室は持たせない、というのが歴代の女将の決めごとである。
東北 — 銀山温泉 能登屋旅館、木造三階の階段

Media Picks Score: 94 / 100 15室、銀山温泉のランドマーク。
目安価格 ¥62,000–¥64,000 / 泊 (2名1室・通常期)
銀山温泉の象徴である能登屋旅館は、明治二十五年の創業、大正の改築によるアーチを抱えた木造三階の意匠そのものが登録有形文化財に指定されている。客室は十五。仲居の動線は、急な階段を一日に何度も上下する設計の中に組まれており、宿の構造そのものが仲居の身体性を要求する建築であった。三十年勤続の仲居は、「この階段を昇り降りできなくなったら辞める、と決めている」と笑った。能登屋では戦後一貫して通いではなく住み込みを基本にしてきた歴史があり、現在は通勤も可とするが、繁忙期の朝餉は前夜から仕込みに入る仲居が多い。歩合は付かず、固定給と勤続年数による加算で構成され、定年は七十歳。賄いは三階の小部屋で全員が同じ膳を囲む。一人で受け持つのは多くて三室、雪の重みが屋根を軋ませる冬は、二室に減らす配慮が続いている。
北陸 — あわら温泉 光風湯圃 べにや、復興後の継承

Media Picks Score: 95 / 100 24室、あわら温泉の数寄屋旅館。
目安価格 ¥121,000–¥180,000 / 泊 (2名1室・通常期)
あわら温泉のべにやは、明治十七年の創業。皇室や著名な文人を迎えた時代を経て、平成のある夜、火災で大広間と本館の大半を失った。再建は十年に及び、現在の二十四室すべてに半露天風呂を備える数寄屋造りの宿として戻ってきた。火災の折、仲居の多くは離散を余儀なくされたが、再建の知らせとともに戻ってきた者がいた、と現女将は語る。客室付き、一人二室。配膳は部屋食を基本とし、夕餉の汁物の温度は、運ぶ時間まで計算したうえで厨房を出る。仲居の半数が在籍二十年以上、四十代の中堅が育っている数少ない宿の一つである。賄いは交代制で本館の二階に設えた専用室で取り、献立は調理長が献立帳とは別に書き起こす慣わしが続く。歩合は付かず、月給と年二回の昇給査定、定年は六十五歳だが、希望者は嘱託で残れる仕組みが用意されている。
朝餉の作法、その変容
三宿に共通して聞かれたのは、朝餉の作法が、この十年ほどで明確に変容したという話である。かつての朝餉は、起床に合わせて仲居が膳を運び、目刺しと味噌汁、卵焼きと香の物を、一人ずつ配膳していくものであった。現在は、和洋の選択、品数の調整、夜と同じ部屋食か食事処かの選択、それらが標準化されつつある。仲居の側からすれば、配膳の自由度が増し、所作の判断点が増えた。「朝餉のときに、お客様が今日どんな顔をされているか、それを見て言葉数を決めるのが仕事です」とよろづやの仲居は語った。マニュアル化された接客では届かない、その日その人の温度を読む仕事が、朝の数十分に凝縮されている。
定年、歩合、賄い — 構造の差異
仲居の処遇は宿ごとに大きく異なる。よろづやと能登屋は完全な固定給制、べにやも月給制を基本としており、いわゆる歩合制を採る宿は本稿の三軒にはなかった。これは老舗の名旅館に共通する傾向であり、近年の人材不足への対応として固定給化を進めた宿が増えた、と複数の業界関係者が語っている。賄いは三宿いずれも宿が用意し、能登屋とべにやは専用の食事室を備える。定年は六十五から七十、嘱託での継続雇用が前提となっており、これも老舗ならではの体制と言える。住み込み制度は能登屋に名残があり、よろづやとべにやは通勤を基本にしている。離職率は、宿の規模からすれば著しく低い、と各女将は控えめに語った。
湯守・番頭に続いて
本誌のこの連載は、宿を支えてきた職能を、一つずつ訪ねていく試みである。湯守、番頭、そして仲居。次に編もうとしているのは、料理長の片腕として包丁を握ってきた焼き方、煮方の世代である。客室の襖の向こうで仕事をする者たちの記録は、宿の温度を、宿らしく言葉にするための、ささやかな手がかりとなる。夏越の祓を前にして、編集部はこの三宿の仲居たちに、改めて頭を下げたい。
よくある質問
Q. 仲居と女将はどう違うのですか
A. 女将は宿の経営と表向きの代表を担う立場で、多くは経営者一族の女性が務めます。仲居は客室付きの給仕職で、寝具・配膳・湯加減・館内案内を担い、雇用形態としては従業員にあたります。両者の関係は宿ごとに異なりますが、女将が古参の仲居を通じて宿全体の温度を整える、という関係が老舗には残っています。
Q. 仲居制度を維持している宿はどう見分けますか
A. 客室付きを明記しているか、部屋食を基本としているか、配膳がワゴンか手運びか、この三点が一つの目安になります。本稿の三宿はいずれも客室付き・部屋食・手運びを維持しており、公式サイトでも「客室係」「客室付き」と表記されています。
Q. 仲居への心付けは必要ですか
A. 現在の宿の多くが心付けを辞退する方針を取っており、本稿の三宿も同様です。サービス料が宿泊料金に含まれており、別途の心付けは仲居の側も受け取りに困る、という声がありました。気持ちを伝えたい場合は、出立時に一言、名前を添えて礼を述べるのが最も喜ばれる、と複数の仲居が語っています。
Q. 子連れでも泊まれますか
A. よろづやと能登屋は乳児からの受け入れ実績があり、布団の添い寝も可能です。べにやは未就学児の受け入れに条件があり、客室の構造上、低年齢の利用は宿に事前確認が望ましいとされています。仲居制度を維持する宿では、家族構成に応じた配膳の調整が可能な場合が多く、予約時の相談が有効です。
本記事の参考情報
・日本政府観光局 (JNTO) — 温泉宿の文化的背景に関する英語資料を含む
・Wikipedia: 仲居 — 飯盛女から現在の客室係に至る経緯
・文化庁 — 登録有形文化財の宿に関する情報
編集部から
仲居という職能は、宿の温度を守る最も静かな仕事である。襖の開け閉て、湯加減の確認、夜更けの湯呑みの取り替え、それらの所作の積み重ねが、客の一晩を支えている。本稿で訪ねた三宿は、いずれも創業百年を越え、仲居という職能を経済合理性の外で守ってきた宿である。職能を継ぐとはどういうことか、宿の温度はどこに宿るのか。次回は焼き方・煮方の世代を訪ねる予定である。