仲秋の箱根仙石原で、母屋から離して棟を構える宿を一軒選ぶなら、明治三年創業の仙郷楼を挙げます。台ヶ岳の北西麓に広がる芒の原から、外輪山の側へ一キロほど。一万五千坪の樹林のなかに本館・東館・西館が散り、その奥に木造平屋・数寄屋造りの別邸「奥の樹々」が六室だけ置かれています。湯は大涌谷から引いた白濁の強酸性泉。江戸期に仙石原の関所を守った石村家が、明治のはじめに竹樋で湯を引いたところから、この宿の百五十余年がはじまりました。芒が銀から金へ移ろうこの季節、棟を分けるという建て方が何を守ってきたのかを、庭と湯と膳から辿ります。
| 宿 | 仙郷楼(せんきょうろう)/神奈川県足柄下郡箱根町仙石原 |
|---|---|
| Media Picks Score | 92 / 100 |
| 創業 | 明治三年(一八七〇)/石村旅館として開業、大正二年に現在地へ移り改称 |
| 客室 | 計三十九室(本館十室・東館十九室・西館四室・別邸 奥の樹々 六室) |
| 離れ | 別邸「奥の樹々」六室、木造平屋・数寄屋造り、全室露天風呂付 |
| 湯 | 大涌谷からの引湯/酸性・カルシウム・マグネシウム・硫酸塩・塩化物泉/pH二・〇/源泉六四度 |
| 目安価格 | ¥60,000–¥89,000 /泊(2名1室・通常期) |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

芒の原と、その西に建つ宿
秋分を過ぎるころ、仙石原の芒は穂を開きはじめます。台ヶ岳の斜面に広がる草原はおよそ十八ヘクタール、その真ん中を全長七百メートルの遊歩道が貫いており、銀色から金色へ、日ごとに色を移していきます。かながわの景勝五十選に数えられるこの原は、放っておけば低木に呑まれる土地です。毎年三月の山焼きによって草原の姿が保たれてきた、という事実を知って歩くと、風に倒れる穂の一つひとつが人の手の跡に見えてきます。
仙郷楼は、その原を挟んだ西側、外輪山の裾にあります。直線でおよそ一キロ。国道百三十八号沿いのバス停「仙郷楼前」で降りると、門から先は一万五千坪の樹林で、道路の音はすぐに遠のきます。この一帯は富士箱根伊豆国立公園の特別地区にあたり、建物の高さも色も看板も強く制限されている——公式サイトはそう記しています。棟を低く伏せ、木立の高さを越えない造り方は、宿の趣味であると同時に、この土地に建てるための条件でもあったわけです。
湯を引いた家の記憶
石村家は、江戸期に仙石原の裏関所で常番頭を務めた家です。天正十年、武田家滅亡ののちに甲斐から相模仙石原へ落ち延びた渡辺勘兵衛が、郷里の石和にちなんで石村を名乗った——公式サイトの家史はそこから筆を起こします。明治二年の関所廃止で禄を離れた十二代・石村菊治は、家の再興を大涌谷の湯に賭けました。竹の樋を継いで湯を引き、明治三年に石村旅館を開いたのが、この宿のはじまりです。
湯を山から里へ下ろす仕事は、当時としては土木事業でした。大涌谷からの引湯が本格的に成功したのは明治四十五年。大正二年に現在地へ移って「仙郷楼」と改め、以後この宿は仙石原の元湯場と呼ばれるようになります。引湯に使った管は、日露戦争中に軍需品としてつくられた木管の払い下げを転用したと伝わります。やがて大涌谷に温泉権を持つ旅館や箱根登山鉄道の共同出資に、渋沢栄一をはじめとする渋沢・三井・益田の三家と大倉組の代表者らが発起人として加わり、箱根温泉供給株式会社が設立され、仙石原と強羅に湯を送る仕組みが整いました。今日この一帯の宿が白濁湯を使えるのは、その延長線上にあります。
大正十二年の関東大震災で建物は半壊しました。十三代・石村喜作は大正十四年に仙石原村長となり、昭和三十一年の五町村合併で生まれた箱根町の初代町長を務めています。宿の歴史が地域の行政史と重なっている宿は、そう多くありません。館内には往時のパンフレットや写真が残り、渋沢栄一、山縣有朋、原敬、鏑木清方、徳富蘇峰といった名が宿帳の記憶として語られます。

棟を分ける — 別邸「奥の樹々」六室
宿は全部で三十九室あります。内訳は本館十室(うち五室が露天風呂付)、東館十九室、西館四室(うち二室が露天風呂付)、そして別邸「奥の樹々」六室。この最後の六室が、本稿の主題である離れです。
奥の樹々は木造平屋・数寄屋造りで、六室すべてに露天風呂が付きます。間取りは四タイプ。和十帖と十帖のベッドルームを継ぐDタイプが二室、和十帖を二間続けるCタイプ一室、そこに室内風呂を加えたBタイプ一室、露天と室内風呂の両方を備えるAタイプ二室という構成です。いずれも月見台を持ち、露天風呂につながる寝室側と、膳を並べる部屋とが分かれています。眠る場所と食べる場所を一室に混ぜない——この単純な分け方が、離れという建築の要諦だと編集部は考えています。
棟を分けることの意味は、静けさだけではありません。別邸と本館の客室を同じグループで同時に取ることはできず、同一グループでの子どもの利用も一名までと、公式サイトは明記しています。露地を隔てるという物理的な設計に、運営上の線引きが対応している。離れを名乗りながら母屋の団体客と動線を共有してしまう宿がある一方で、この宿は建て方と決め事の両方で棟を分けています。夕食も朝食も、本館・西館・別邸の客室は部屋出しです(東館の客は食事処「仙郷楼・陽」へ)。廊下を歩かずに一日が完結する、という意味でも独立棟は独立しています。
白濁の湯 — pH二・〇、源泉六四度
湯は、大涌谷から引いた白濁湯です。泉質は酸性・カルシウム・マグネシウム・硫酸塩・塩化物泉、旧泉名で酸性硫酸塩泉。pHは二・〇の強酸性で、公式サイトは「湯船にクギを入れておくと一週間で溶けてなくなるほど」と、その酸の強さを説明しています。源泉温度は六四度あり、加水をせず、浴槽への注入量を絞ることで純度を保つ。標高差だけを使って自然に流下させる完全放流式で、動力に頼らない給湯です。湯面に浮かぶ白い湯の花は、大涌谷の硫黄分が溶け切らずに残ったもの。硫黄の匂いが立つのは、給湯された湯から硫黄分が空気中へ拡散するためだと説明されています。
共用の湯は四つ。二十四時間入れる大浴場「湯天の蔵」、金時山をはじめとする外輪山を正面に望む露天風呂「はぐれ雲」(防犯のため二四時に施錠)、岩で囲った貸切露天「乙女の湯」、木の湯船の貸切露天「金時の湯」——貸切はいずれも一回四十五分です。なお神奈川県の条例により、混浴の年齢制限は七歳以上と掲示されています。
近年この湯には、化粧品研究の側からの裏づけも付きました。ポーラ・オルビスグループの研究所が浴槽に注ぐ湯を採水して肌への影響を分析する「美肌温泉証」の取り組みで、仙郷楼の湯は「バリア・オアシス温泉」に認定されています。効能書きの伝統的な語彙とは別の言葉で湯を説明する試みで、温泉地の科学的な自己説明としては珍しい部類に入ります。
月替りの膳と、一万五千坪の庭
夕食は月替りの懐石です。先付、前菜、御椀、造り、焼物、強肴、煮物、変り鉢と続き、冷たいものは冷たく、温かいものは温かく、一品ずつ運ばれます。公式サイトが掲げる盛夏の献立を見ると、冬瓜のすり流しに鱧押しと新蓮根、水茄子の昆布〆に煎り酒、枝豆の葛豆腐、丸吸に焼豆腐と玄米餅——旬を先取りする組み立てで、箱根という土地柄、素材は全国から集めています。仲秋の膳がどう変わるかは月ごとに確かめるほかありませんが、献立が毎月書き替えられること自体が、この宿の姿勢を示しています。
庭は一万五千坪。つつじ、しゃくなげ、藤、豆桜が季節ごとに咲き、裏山は秋に色を変えます。浴衣のまま歩ける散策路が一周三十分ほど。都心より五度から八度気温が低いと公式サイトは記しており、仲秋の朝はすでに肌寒いはずです。館内には陶芸焼物教室があり(木曜定休、十時から十八時)、ロビーでは二〇二六年にも四月と六月に「浴衣deコンサート」が開かれました。日本フィルハーモニー交響楽団のソロ・コンサートマスターによるヴァイオリンを、浴衣のまま午後八時半から聴く——入場無料というのが、この宿らしい構えです。
立地と交通
新宿から小田急ロマンスカーで箱根湯本まで約九十分、そこから桃源台行きの箱根登山バスで約三十分、「仙郷楼前」下車。新宿発の小田急高速バスなら乗り換えなしで約百二十分、同じバス停に着きます。小田原駅からはバスで約五十分。車の場合、東名高速の御殿場インターチェンジから国道百三十八号を経由して約十五分。駐車場は宿泊者無料です。芒の原へは徒歩でも向かえる距離で、大涌谷、箱根湿生花園、ポーラ美術館、箱根ガラスの森も車で十分前後の圏内です。
こんな旅人に
- 向く: 芒の見頃に合わせて一泊し、朝夕を宿で過ごしたい夫婦・二人旅/部屋の露天と部屋出しの膳で、館内をほとんど歩かずに過ごしたい人/温泉の由来や地域の歴史を読みながら泊まりたい人/強酸性の白濁湯を目当てにする湯好き
- 向かない: 家族三世代など大人数で母屋と離れを同時に押さえたい旅程(別邸と本館の同グループ同時宿泊は不可)/小さな子ども連れで離れを希望する場合(同一グループでの子どもの利用は一名まで)/肌が弱く強酸性泉を避けたい人/夜遅く到着して深夜に露天へ向かいたい人(露天「はぐれ雲」は二四時に施錠)
具体情報
- 所在地: 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1284
- 最寄り: 箱根登山バス「仙郷楼前」下車すぐ/箱根湯本駅からバス約30分
- 客室数: 39室(本館10室・東館19室・西館4室・別邸 奥の樹々 6室)
- 離れ: 別邸「奥の樹々」6室、木造平屋・数寄屋造り、全室露天風呂・月見台付
- チェックイン: 15:00〜/アウト 〜10:00(別邸 奥の樹々は 14:00〜/〜11:00)
- 食事: 夕食は月替りの懐石。本館・西館・別邸は部屋出し、東館は食事処「仙郷楼・陽」
- 湯: 大涌谷引湯/酸性・カルシウム・マグネシウム・硫酸塩・塩化物泉/pH2.0/源泉64℃/完全放流式
- 共用浴場: 大浴場「湯天の蔵」(24時間)、露天「はぐれ雲」、貸切露天「乙女の湯」「金時の湯」(各45分)
- 庭園: 約15,000坪、散策路一周約30分
- 駐車場: 宿泊者無料
- 創業: 明治3年(1870年)
Media Picks Score
92 / 100 — 公開レビューデータを集計した評価に、立地・湯・建築・運営の四点から編集部の判断を加えて算出しました。加点の中心は、離れが単なる客室区分ではなく運営上の線引きを伴っている点、引湯の歴史が地域の温泉供給史そのものと重なる点、そして完全放流式で注がれる強酸性の白濁湯です。集約された宿泊者の評価では、湯の質と庭の広さ、部屋出しの膳への支持が安定して高い一方、館ごとに建物の新旧差があること、共用の露天が深夜に閉まることへの言及も見られます。三十九室という規模に対して離れは六室のみで、離れを目的にするなら早い時期の手配が要ります。
よくある質問
Q. 芒の見頃はいつですか。
A. 仙石原すすき草原の見頃は、例年九月下旬から十一月にかけてです。穂は銀色から金色へと移り、秋が深まるほど開いていきます。草原は台ヶ岳の斜面に約十八ヘクタール広がり、中央を七百メートルの遊歩道が通っています。毎年三月に山焼きが行われ、草原の景観が保たれてきました。仲秋の頃はまだ銀色を残す時期にあたり、金色に染まるのは十月半ば以降が目安です。
Q. 湯の効きめと注意点は。
A. 泉質は酸性・カルシウム・マグネシウム・硫酸塩・塩化物泉で、pHは二・〇の強酸性です。角質にはたらく湯として知られる一方、肌の弱い人や傷のある人には刺激が強く出ることがあります。源泉は六四度で加水せず、注入量を絞って純度を保つ完全放流式です。時期によりごく少量の山水を加えることがあると公式サイトは記しています。共用浴場のうち混浴は、神奈川県の条例により七歳以上という年齢制限が掲示されています。
Q. 食事はどこで供されますか。
A. 本館・西館・別邸「奥の樹々」の客室は部屋出しです。東館の客は食事処「仙郷楼・陽」で供されます。夕食は月替りの懐石で、献立は仕入れ状況や客室タイプによって多少変わります。団体には宴会場または個室が用意されます。
Q. 子ども連れでも泊まれますか。
A. 宿全体としては泊まれますが、別邸「奥の樹々」については、同一グループでの子どもの利用は一名までと公式サイトが定めています。また別邸と本館の客室を同じグループで同時に予約することもできません。家族数世代での旅程を組む場合は、本館・東館・西館の客室で考えるのが現実的です。
Q. 離れは何室ありますか。
A. 別邸「奥の樹々」の六室です。木造平屋・数寄屋造りで、全室に露天風呂と月見台が付きます。間取りは四タイプあり、和十帖に十帖のベッドルームを継ぐもの、和十帖を二間続けるもの、室内風呂を加えたものなどに分かれます。宿全体の三十九室に対して六室ですから、芒の見頃と重なる時期は早めの手配が要ります。
本記事の参考情報
・仙郷楼 公式サイト — 創業・沿革、客室構成、泉質と浴場、食事、庭園、アクセス
・箱根町観光協会「仙石原 すすき草原」 — 草原の所在と見頃、山焼き、遊歩道
・箱根町観光協会「仙石原すすき草原豆知識」 — 面積約18ヘクタール、遊歩道700メートル
編集部から
離れという形式は、贅沢の記号として語られがちです。けれども仙郷楼を辿ると、棟を分けることは、まず湯を分けること、次に人の動線を分けること、そして最後に土地の規制に従って建物を低く伏せることの結果として立ち上がってきた——そう読めます。関所の番人だった家が竹樋で湯を下ろし、木管を継ぎ、やがて一帯に湯を配る会社の発起人に連なる。その百五十余年の末に、庭の奥へ六室だけ棟を離す。仲秋の仙石原で芒の穂が金に倒れる頃、その六室の月見台に座るというのは、湯の来歴の末端に腰を下ろすことでもあります。箱根の離れをもう少し広く見渡したい方には、下記の記事を続けてどうぞ。
次に読むなら
・箱根の離れに二夜、湯と静寂の二日間 — 仙石原から強羅へ
・箱根仙石原と強羅、芒原と大文字を望む客室露天五軒 — 大涌谷の硫黄を引く山の湯
・箱根十七湯、外輪山の谷ごとに湯を分ける名湯五軒 — 大涌谷の硫黄と芦ノ湖の単純泉を歩く
・離れという建築の系譜 — 数寄屋から現代の独立棟へ