白露を過ぎ、朝の縁側に立つと空気の芯が入れ替わったことに気づく頃——離れの座敷の建具替えは、年に二度しかない支度です。六月に襖と障子を外して簾戸や葦戸へ替え、夏の室礼は秋口まで保たれ、秋の深まりとともに、ふたたび襖と障子が戻されます。白露は、戻しの日ではありません。夏建具の名残を惜しみ、蔵から冬の建具を出す算段を始める時季です。座敷という一つの部屋が、板と紙と葦のあいだで二つの顔を持ってきた。その入れ替えを、いまも続ける離れの宿があります。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

年に二度しかない、大掛かりな支度

衣替えという言葉は、平安の宮中で装束を夏冬で改めた行事に始まり、六月一日と十月一日という二つの日付を今日まで残しています。建具替えは、その家屋版といってよいものです。京都市の公開する町家の解説でも、六月に襖や障子を葦戸・簾・網代へ替え、家じゅうを夏の室礼に改める作法が記されています。衣を替えるように、家そのものの装いを替える。人が着替えるのと同じ回数だけ、座敷も着替えてきたわけです。

離れの宿にとって、これは想像以上に重い仕事になります。母屋なら一度に人手を集めて片づけられますが、離れは棟が散っている。渡り廊下と庭を越えて、一棟ずつ建具を外し、運び、納め、代わりの建具を運び入れて建て込む。外した建具は雨に当てられないため、天気を読んで日を決めます。しかも客のある日には手をつけられません。年二回、宿の側にとっては予約を空けてでも確保しなければならない日が生まれる。空調で室温を作れる現在、この二日を残すかどうかは、経営の判断そのものになっています。

蔵に納める枚数が、棟の格を映してきた

建具替えでもう一つ効いてくるのが、置き場所です。夏の間、冬建具は使われないまま蔵で夏を越し、冬は夏建具が同じ場所で冬を越す。つまり座敷一つにつき、常に建具一組ぶんの空間が別に要ります。三十枚を替える棟なら、三十枚を寝かせる場所と、それを傷めずに立てて並べる桟が要る。建具は面で歪むため、平積みも壁への立てかけも避けねばならず、蔵の設計自体が建具替えを前提に組まれてきました。

だからこそ、納める枚数は棟の格をそのまま映します。格の高い座敷ほど、納める建具の枚数も種類も増える。逆にいえば、蔵の大きさを見れば、その棟がどれだけの座敷をどれだけの格で維持してきたかがわかる。建具替えとは、宿が自らの身の丈を毎年二度、数えなおす作業でもあったのです。

簾戸・葦戸・網代——風だけを通すという理屈

夏建具の要点は、涼しくすることではなく、光を減らしながら風を残すことにあります。簾戸は細く削いだ竹や葦を框に組んだ建具で、視線と直射日光を遮りつつ、隙間の総量では襖や障子をはるかに上回る通風量を確保します。網代は経木や竹を斜めに編んだもので、天井や壁面に用いれば、面のまま空気を含ませることができる。いずれも、遮るものと通すものを別々に設計している点が共通しています。

この理屈は、日本家屋が壁を極力減らして建てられてきたことと対になっています。柱と梁で支え、間仕切りを建具に任せる構造だからこそ、建具を差し替えるだけで家の性能を季節ごとに切り替えられた。壁で断熱を担う造りであれば、そもそも入れ替えようがありません。建具替えは風流の作法である前に、可動間仕切りという構造上の選択が生んだ、きわめて合理的な運用でした。

襖と障子が戻ると、座敷の音と光が変わる

秋の建具替えで座敷が最も変わるのは、実は温度ではなく、音と光です。簾戸の座敷は、庭の水音も鳥の声も遠慮なく入り、隣室の気配も筒抜けになります。そこへ襖が戻ると、面が音を受け止め、部屋は一気に静かになる。紙と木で構成された襖は音を反射せず吸うため、静けさに硬さが出ないのが特徴です。夏のあいだ庭と地続きだった座敷が、ふたたび内側を向く。

光も同じように変わります。簾戸を透かして落ちる光は、木漏れ日のように筋を作り、畳に細い縞を刻みます。障子に替わると、光は面全体でいったん受け止められ、輪郭を失った明るさとして室内に満ちる。行灯の灯りが夜になって効いてくるのも、障子が戻ってからです。畳を裏返し、簾を仕舞い、建具を建て替える。その一日を境に、同じ座敷が別の部屋になる——秋の初めに宿が手間を惜しまない理由は、突き詰めればこの一点にあります。

本稿で触れた宿

ここから先は、建具や座敷の作法を公式に記している宿を三軒だけ挙げます。いずれも公開レビューデータを集計した評価と、公開販売価格の集計を併記しました。数字は宿を序列づけるためではなく、旅の算段の目安として置いています。

1. 下呂温泉 水明館 離れ「青嵐荘」 — 岐阜県下呂市

昭和二十八年の数寄屋を復元した全五室の離れ。建具を四季ごとに衣替えすると公式に明記する、稀少な一棟。

Media Picks Score: 93 / 100  青嵐荘は全五室(一階二室・二階三室)、数寄屋造りの離れ。

目安価格 ¥48,000–¥77,000 / 泊 (2名1室・通常期・館全体の参考値)


下呂温泉 水明館 離れ「青嵐荘」 — 岐阜県下呂市 · 昭和二十八年の数寄屋建築を復元した全五室の離れ、広縁と障子越しに庭を望む座敷
PHOTO: 下呂温泉 水明館 離れ「青嵐荘」 — 公式サイトを見る →

昭和二十八年に旅館として建てられた数寄屋造りを、当時の間取りを生かして復元した離れです。宿は青嵐荘について「建具は四季折々に衣替えいたします」と明記し、一階の葵の間では夏畳によしず、雪畳に雪見障子という替え方まで公開しています。夏と冬で床と建具を同時に替える——本稿の主題をそのまま実践している棟だといえます。名は日本画壇の川合玉堂によるもので、玄関正面の扁額も自筆。部屋名はすべて源氏物語から採られ、敷地には能舞台と茶室「水幸庵」が備わります。空調の影響で天井板に割れが生じていることを宿自ら断っている点も、木と紙の建物を保つ難しさを率直に伝えています。

具体情報

  • 所在: 岐阜県下呂市幸田1268(下呂温泉)
  • 青嵐荘の規模: 全五室(一階二室・二階三室)/館全体では264室
  • 建物: 昭和28年築の数寄屋造りを間取りを生かして復元
  • 建具: 四季ごとに衣替え(夏畳・よしず/雪畳・雪見障子)
  • 付帯: 能舞台、日本庭園、茶室「水幸庵」、ラウンジ「宗和」
  • チェックイン: 14:00〜(最終22:00) / アウト 〜11:00


2. Ryokan 尾道西山 — 広島県尾道市

庭園を囲む六棟八室の離れ。いまでは再現できない建具を、宮大工の監修で磨き直して使い続けている。

Media Picks Score: 92 / 100  瀬戸内海を望む庭園を囲む六棟八室の離れ。

目安価格 ¥143,000–¥194,000 / 泊 (2名1室・通常期)


Ryokan 尾道西山「藁の家」 — 広島県尾道市 · 引き船で移築された茅葺の日本家屋、障子越しに灯りの漏れる離れ
PHOTO: Ryokan 尾道西山「藁の家」 — 公式サイトを見る →

建具替えを続けるには、まず替えるだけの建具が残っていなければなりません。その前提の側を守っている宿です。庭園を囲む六棟八室の離れには、引き船で海路運ばれてきた日本家屋が含まれ、宮大工の監修のもと、いまでは再現できない建具に磨きと削りをかけてそのまま使い続けたと公式に記されています。茅葺屋根を伝統の技法で葺き替えた「藁の家」は八十三平米、全室に網代天井が組まれ、夏建具に用いられる編みの技法が天井の意匠として定着した姿を見ることができます。茶室を備える「聴涛亭」は六十四平米。和紙の灯りと障子が生む陰影を、意匠の中心に据えた離れです。

具体情報

  • 所在: 広島県尾道市山波町678-1
  • 規模: 庭園を囲む六棟八室の離れ(施設全体では11室)
  • 客室サイズ: 51〜88㎡(藁の家83㎡、聴涛亭64㎡、朝日の間88㎡)
  • 建具: 宮大工監修で既存建具を磨き・削り再生、藁の家は全室網代天井
  • 茶室: 聴涛亭に露地を伴う茶室を併設


3. 琴平花壇 数寄屋造り離れ — 香川県琴平町

金刀比羅宮の杜の麓、庭園に散る数寄屋の離れ三棟。襖が絵となり、また取り払われもする棟。

Media Picks Score: 90 / 100  庭園に点在する数寄屋造りの離れ三棟(館全体42室)。

目安価格 ¥55,000–¥84,000 / 泊 (2名1室・通常期・館全体の参考値)


琴平花壇「長生殿」 — 香川県仲多度郡琴平町 · 一九五一年にこの地へ移された数寄屋造りの離れと前庭の松
PHOTO: 琴平花壇「長生殿」 — 公式サイトを見る →

金刀比羅宮の杜の麓、寛永の世から四百年を数える宿の庭園に、数寄屋造りの離れが三棟点在します。最も大きい「長生殿」は百五十二平米、多度津から移されたと伝わる建物で、この地への移築は一九五一年。室内には三国志の「三顧の礼」を画題とした襖があり、橋本関雪の作と伝わるものの、鑑定では真筆の確証を得られていないと宿自身が記しています。襖が絵として遺る一方、最も古い数寄屋である「泉亭」六十四平米では、いまは客間の襖を取り払い、ベッドとソファを置く仕様に改められました。艶やかな網代柄の廊下も残ります。建具を替えるという作法の延長線上に、建具を外すという選択もある。その両方が一つの庭に並んでいる棟です。

具体情報

  • 所在: 香川県仲多度郡琴平町1241-5(こんぴら温泉郷)
  • 離れ: 長生殿152㎡(定員7名・中学生以上限定)、延寿閣105㎡、泉亭64㎡
  • 建物: 長生殿は1951年に当地へ移築。延寿閣は森鴎外、泉亭は北原白秋が滞在
  • 建具: 長生殿に「三顧の礼」の襖絵。泉亭は客間の襖を取り払いベッド仕様に改装
  • 館全体: 42室(離れのほか富士見台・松月テラス・山翠閣)


よくある質問

Q. 建具替えはいつ行われますか。

A. 年に二度です。夏の建具へ替えるのは六月、衣替えの慣習と同じ時期にあたります。夏の室礼は秋口まで保たれ、襖と障子へ戻すのは秋が深まってから。白露の頃はまだ夏建具のままで、戻しの支度が始まる時季と考えるのが実情に近いといえます。宿ごとに気候差があり、寒冷地では前倒し、瀬戸内や南九州では遅れる傾向があります。

Q. 建具替えの日に泊まることはできますか。

A. 座敷から建具を外して運び出す作業になるため、対象の棟は原則として休みにあてられます。日程は天候にも左右されるため、事前に公表されないことがほとんどです。入れ替え直後の座敷に泊まりたい場合は、十月上旬を目安に空室を探し、直接宿へ問い合わせるのが確実です。

Q. 夏建具と冬建具では、泊まり心地はどう違いますか。

A. 温度差よりも、音と光の差が大きく出ます。簾戸の座敷は庭の音がよく通り、光は細い筋になって畳に落ちます。襖と障子に戻ると、面が音を吸って室内が静まり、光は輪郭を失った明るさとして満ちる。行灯や和紙の照明が効いてくるのも障子が戻ってからで、夜の座敷は秋のほうが落ち着きます。

Q. 建具替えを続けている宿は、どう探せばよいですか。

A. 客室紹介の頁で「四季折々に衣替え」「夏畳」「雪見障子」など、床と建具の替え方まで書いている宿が手がかりになります。本稿で挙げた青嵐荘のように、替える対象を具体的に記す宿は多くありません。年中行事や歳時記の頁を持つ宿も候補になります。

Q. 離れの座敷は子ども連れでも利用できますか。

A. 棟によって扱いが分かれます。文化財に準じる建具や襖絵を備えた棟では年齢制限が設けられることがあり、本稿の琴平花壇「長生殿」は中学生以上に限られます。段差や敷居の多い古い座敷では足元の配慮も要るため、予約時に棟単位で確認するのが確実です。

本記事の参考情報

京都市 にしZINE「京町家の建具替え」 — 六月の建具替えと夏の室礼の作法
Wikipedia: 衣替え — 六月一日・十月一日という日付の由来
Wikipedia: 離れ — 母屋と棟を分ける建物形式の背景

編集部から

建具替えは、季節を愛でる作法として語られがちです。けれども実際に残っているのは、蔵の広さと、人手と、客を入れない一日を確保できる宿だけでした。空調が室温を作れるようになったいま、この支度を続ける理由は快適さの側にはありません。座敷という部屋が、板と紙と葦のあいだで年に二度だけ性格を変える——その事実を客に見せることそのものが目的になっています。秋の深まる数日、離れの前庭に建具が並ぶ光景に出会えたなら、それはこの宿がまだその一日を守っているという証しです。次の夏、同じ座敷が簾戸に替わったとき、記憶のなかの秋の座敷とどれだけ違って見えるか。二度訪ねてはじめて、この作法は完結します。

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