立冬を過ぎた上州の谷は、朝の光が届くより先に川面が白く煙ります。群馬県吾妻郡中之条町の旧六合村、白砂川の支流である長笹沢川では、河床そのものから湧く湯を上下二か所の堰で止め、川の一区画がまるごと湯舟のかたちを保っています。「川の湯」と呼ばれるこの野湯を戸口の先に置き、川と宿とを一続きの湯場として継いできたのが、尻焼温泉 星ヶ岡山荘です。宿数の限られたこの湯場で、湯守が堰と湯温をどう見てきたのか。湯と川を主語に、一軒だけを深く辿ります。
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

河床から湧く湯を川ごと堰き止めた「川の湯」まで徒歩3分。全10室、源泉かけ流しの湯を守る尻焼温泉 星ヶ岡山荘は、湯場そのものを宿の延長として引き受けてきた一軒です。
群馬県吾妻郡中之条町入山、全10室(和室10室)。
目安価格 ¥46,000–¥77,000 / 泊 (2名1室・通常期)
川の湯の来歴 — 平家の落人が伝えたという湯
尻焼という名は、河底から湧く湯で温められた石に腰を下ろし、痔を癒したこと、すなわち「尻を焼いた」ことに由来すると伝えられます。中之条町の公式案内も宿の説明も、この由来で一致しています。発見の主については、平家の落人によるという伝承が残ります。時期を特定する記録は残っていませんが、嘉永年間の地図にはすでに温泉の記載があり、少なくとも江戸後期には湯場として認識されていたことになります。
湯そのものは、長笹沢川の河床から直接湧きます。人が掘った湯壺ではなく、川底が源泉です。だからこそ、湯を使うためには川を扱わなければならない。上下二か所に堰を設けて流れを緩め、そこに溜まった湯を舟に見立てる。三十メートル四方にも及ぶこの野湯は、更衣室も料金所も持たず、誰にでも開かれています。管理していた地元の組合が令和7年5月上旬まで置いていた内湯小屋は解体され、いまは川と岩と湯だけが残っています。
湯は天候に従います。大雨や融雪で水量が増えれば湯温は下がり、川幅いっぱいの急流となって入浴はできません。上流での夕立ひとつで表情が変わる。この不確かさこそが、尻焼という湯場の性格です。訪れる側は「入れる日に当たる」ことを引き受けなければならず、宿の側は毎日その日の川を読むことになります。
湯質と数値 — 55℃の硫酸塩・塩化物泉
星ヶ岡山荘が公表する源泉の値は、泉温55℃、泉質はカルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉です。適応症として痔疾、リューマチ、皮膚病、婦人病、高血圧、外傷が挙げられ、中之条町の案内では神経痛、筋肉痛、五十肩、痔疾、きりきずが記されています。硫酸塩泉と塩化物泉の性質を併せ持つ湯は、肌に薄い膜を残して湯冷めしにくく、立冬の谷で湯を出たあとの数分を支えてくれます。
館内の湯は、露天・内湯ともに源泉かけ流しです。人工温泉は含みません。露天は男女それぞれに一つずつ、渓流沿いに開いています。内風呂は石敷きの浴槽で、高い天井に太い梁が渡り、窓の外の景色をそのまま抱き込む造り。露天と内湯は時間で男女が入れ替わります。日帰り入浴も受け付けており、12時30分から14時30分(受付は13時45分まで)、大人900円・小人500円。水曜・木曜は休みです。入湯税は大人150円が別途かかります。

十室の構え — 本館、離れ、そして一棟型
客室は全10室、いずれも和室です。構えは三種に分かれます。本館は渓流側に面した部屋が中心で、12帖「山ぼうし」、12帖ベッドルーム「山桜」、10帖「つつじ」「山吹」「楓」、7.5帖「山桃」が眼下に長笹沢川の流れを望みます。中庭側の7帖「夏椿」、6帖「石楠花」は洗面とトイレが一体。渓流側の各室は2021年2月の改装で洗面とトイレが分けられ、いまの使い勝手になりました。
離れ「長笹」「白砂」は6帖に7.5帖を足した二間で、渓流側に露天風呂を備えます。湯屋の扉を開ければ、そのまま谷の景色が入ってくる造りです。さらに敷地内には源泉かけ流しの内風呂を持つ一棟型が二棟。本館玄関から約100メートルの「木家(mocca)」と、約200メートルの「閑家(nodoca)」で、いずれも寝室へは数段の階段を上がります。食事は星ヶ岡テラスでとる形になり、本館の大浴場も使えます。
十室という数は、この谷の器に対して過不足がありません。川の湯へ向かう客のために、フロントではサンダルと籠を貸し出しています。湯場と宿の距離が徒歩3分であることを、館の運びがそのまま前提にしている。その小さな支度に、湯守としての構えが表れています。

食事 — 入山の畑と、温泉熱の温室
夕食も朝食も、食事処で椅子とテーブルの席につきます。夕食は九品から十品。献立には群馬県産紅ますのカルパッチョ、赤城鳥の焼き物、上州牛の鍋、舞茸ごはんといった土地の品が並びます。季節の主役は畑から上がります。春はたらの芽、蕗の薹、わらび、竹の子。夏は六合でしか穫れない入山太きゅうりと巾広いんげん。秋はきのこ類、花豆、蕎麦の実。
立冬から先の献立を支えるのが、温泉の熱で温めた宿のハウスで育てる無農薬野菜です。雪の谷で青物を切らさないために、湧いている湯を暖房として使う。飲むでも浸かるでもない湯の使い道が、食卓に直結しているところが、この宿らしい。夕食は18時から18時30分の三区分、朝食は8時か8時30分。早い時間の朝食も相談できます。日中には旬の食材を使ったピザとサラダのランチを組み合わせ、13時から入室できるアーリーチェックインや、12時までの延長も用意されています。
集約評価が映すもの
公開レビューデータを集計したところ、星ヶ岡山荘は同一エリアの宿のなかで際立って高い評価を保っています。集約された傾向として繰り返し立ち上がるのは、湯そのものへの評価と、川の湯までの導線を宿が丁寧に扱っている点への評価です。逆に、道のりの長さと天候依存の不確かさは、評価が割れる要素として表れます。長野原草津口から先はバスと徒歩、あるいは車。着いた日に川が荒れていれば野湯には入れない。その前提を承知して訪れた層の評価が高く、立ち寄りの延長で訪れた層とのあいだに差が出る、というのが集約から読める構図です。
花敷との違い — 八百メートル下流のもう一つの伝説
県道を800メートル下ると花敷温泉に出ます。同じ六合温泉郷に属し、白砂川と長笹沢川の合流点に立つ一軒宿の湯場ですが、来歴も湯質も尻焼とは別です。花敷の開湯伝説は1192年、三原野で狩をしていた源頼朝が発見し、湯に散り敷く山桜から「花敷」と名づけたと伝えられます。1590年の湯元文書に「花敷の平右衛門」の名が見え、1722年の『吾妻郡略記』にも記述が残る、文献に恵まれた湯です。1884年の水害で旅館が流失し、1897年ごろ再建された経緯も記録されています。
湯は源泉温度58℃、毎分200リットルの湧出量を持つ弱アルカリ性の高温泉で、ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉に分類されます。塩化物の色が濃い尻焼の湯とは、肌に残る感触が違う。片や源氏の狩の伝説、片や平家の落人の伝承。八百メートルを隔てて、源平の名がそれぞれの湯に付されているのは、この谷の面白さです。大正11年の秋、若山牧水は草津からの帰途に花敷へ一泊し、雪の降る湯の村を詠んでいます。六合の道沿いには、その折の歌碑が点在しています。
具体情報
- 所在地: 群馬県吾妻郡中之条町入山1539(旧六合村)
- 客室: 全10室・和室10室(本館8室/露天風呂付き離れ2室/敷地内一棟型2棟)
- 源泉: 尻焼温泉 泉温55℃、カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉、露天・内湯とも源泉かけ流し
- 川の湯まで: 宿から徒歩3分(サンダル・籠の貸し出しあり/混浴・無料・更衣小屋に扉なし)
- チェックイン: 14:00〜 / アウト 〜11:00(フロント業務 6:00〜22:00)
- 食事: 夕食・朝食とも食事処(椅子・テーブル)、夕食は9〜10品
- 日帰り入浴: 12:30〜14:30(受付13:45まで)/大人900円・小人500円/水・木定休
- アクセス: 吾妻線 長野原草津口駅よりバス35分「花敷温泉」下車、そこから800m・徒歩約10分(要予約で送迎あり)。関越自動車道 渋川伊香保ICより約90分
- 駐車場: 乗用車20台・無料
- 改装: 2021年2月(渓流側客室の洗面・トイレを分離)
向く人 / 向かない人
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向く:
湯質と源泉のかたちを目的に旅する夫婦、野湯と内湯を一日のうちに往復したい人、雪の谷で二泊してひたすら湯に入る旅程 -
向かない:
到着日に必ず川の湯へ入りたい人(増水・融雪時は入浴できない)、観光を詰め込む行程(最寄り駅からバスと徒歩で1時間近い)、混浴の野湯に抵抗のある人(更衣小屋に扉はなく、水着着用が推奨されている)
谷のまわり — 六合という土地
「六合(くに)」は、明治33年に入山、小雨、太子、日影、赤岩、生須の六村が合併して生まれた名です。『古事記』の「天地四方を以って六合と成す」に由来すると伝えられ、現在は中之条町の六合地区にあたります。赤岩には幕末から明治の養蚕農家が数多く残り、群馬県の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。国の天然記念物であるチャツボミゴケの群落、2015年5月にラムサール条約湿地に登録された芳ヶ平湿地群、標高1513メートルの野反湖。湯の谷の外側に、これだけの層が積み重なっています。
2023年12月19日には、旧入山小学校跡地に町営の日帰り温泉施設「尻焼温泉 弁天の湯」が開業しました。尻焼の湯を引いた施設で、川の湯が荒れる日の逃げ場としても機能します。湯場の姿は少しずつ変わっていきますが、川底から湯が湧くという事実だけは動きません。
よくある質問
Q. 川の湯にはいつでも入れますか?
A. 自然の河川を堰き止めた野湯のため、大雨や融雪、上流の夕立などで増水すると入浴できません。冬は水量が落ち着いて湯温が保たれやすい一方、道路の積雪への備えが要ります。宿から徒歩3分で、フロントでサンダルと籠を借りられます。更衣小屋に扉はなく、水着着用が推奨されています。
Q. 湯の効能はどのようなものですか?
A. 星ヶ岡山荘が示す適応症は痔疾、リューマチ、皮膚病、婦人病、高血圧、外傷です。中之条町の案内では神経痛、筋肉痛、五十肩、痔疾、きりきずが挙げられています。泉温55℃のカルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉で、湯上がりに肌へ残る感触があり、冬でも冷えにくい湯質です。
Q. 露天風呂付きの客室はありますか?
A. 離れ「長笹」「白砂」の2室が渓流側に露天風呂を備えます。6帖+7.5帖の二間で、定員は大人4名まで。加えて敷地内には源泉かけ流しの内風呂を持つ一棟型が「木家(mocca)」「閑家(nodoca)」の二棟あり、こちらは食事を星ヶ岡テラスでとる形になります。
Q. 車がなくても行けますか?
A. 吾妻線 長野原草津口駅から中之条町営バスで約35分、「花敷温泉」下車。そこから宿までは800メートル、徒歩10分程度です。時間を伝えておけば花敷温泉バス停まで迎えが出ます(要電話予約)。冬季は野反湖行きではなく花敷温泉行きの便になるため、時刻の確認が要ります。
Q. 食事に地元らしさはありますか?
A. 夕食は9〜10品で、群馬県産紅ますのカルパッチョ、赤城鳥、上州牛の鍋、舞茸ごはんなどが並びます。野菜は六合の畑のもので、夏の入山太きゅうりと巾広いんげん、秋の花豆と蕎麦の実が土地の味を担います。冬は温泉の熱で温めたハウスの無農薬野菜が使われます。
本記事の参考情報
・尻焼温泉 星ヶ岡山荘 公式サイト — 客室・源泉・食事・アクセスの一次情報
・中之条町 公式サイト「尻焼温泉」 — 泉質・効能と川の湯の管理状況
・六合の里温泉郷組合 — 六合温泉郷の宿と湯場の案内
・Wikipedia: 尻焼温泉 / 花敷温泉 — 開湯伝承と近代の変遷
編集部から
湯を守るという言い方は、しばしば建物や湯屋の話になります。尻焼の場合、守る対象は川そのものです。堰の高さ、その日の水量、上流の空模様。宿が読み続けてきたのは温泉台帳の数字ではなく、目の前を流れる水の状態でした。立冬の朝、雪の積んだ岩のあいだから湯気が立ちのぼる光景を見ると、この湯場が八百年近く人を呼び続けてきた理由が、理屈より先に納得できます。八百メートル下流の花敷を併せて歩けば、源平それぞれの伝説を負った二つの湯が、同じ谷でまったく違う顔をしていることも分かるはずです。次はどの湯を、どの季節に訪ねましょうか。