水無月、千歳川に蛍の影が走り、伊豆山神社の参道では紫陽花が色づき始める季節。湯河原は『万葉集』に「足柄の土肥の河内に出づる湯の」と詠まれた古湯であり、伊豆山は走湯権現として源頼朝が再興を志した湯場である。いずれも相模灘へ向かって流れ下る丘陵の懐に塩化物泉を湛え、千年余りの間、湯治と歌枕の系譜を継いできた。本稿では湯河原町と熱海市伊豆山の境界域に湧く塩化物泉を継ぐ五軒を選び、湯量と源泉、建物の来歴を辿る。
| # | 旅館 | 所在 | Score | 客室 | 目安価格 | 一行特徴 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 富士屋旅館 | 湯河原・宮上 | 95 | 17 | ¥92–¥116k | 明治九年創業、登録有形文化財の楼閣風建築を継ぐ |
| 2 | 石葉 | 湯河原・若草山中 | 94 | 10 | ¥191–¥268k | 別荘地の数寄屋と離れ、自家源泉の湯を客室浴槽へ |
| 3 | 海石榴 つばき | 奥湯河原・千歳川沿 | 92 | 29 | ¥123–¥162k | 千坪の渓谷敷地、料亭旅館の系譜と迎賓館を併設 |
| 4 | 若松 ゆがわら石亭 | 湯河原・宮上 | 90 | 14 | ¥58–¥105k | 函館湯の川の老舗の継承、割烹旅館の作法 |
| 5 | ホテルニューさがみや | 熱海・伊豆山 | 88 | 45 | ¥76–¥99k | 走湯権現の湯場に立ち、全室相模灘を望む |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。
1. 富士屋旅館 — 湯河原・宮上
明治九年に温泉旅館として始まり、楼閣風の旧館と昭和の洛味荘を継ぐ、湯河原の本流を担う一軒。
Media Picks Score: 95 / 100 17室、温泉旅館。
目安価格 ¥92,000–¥116,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
富士屋の歴史は江戸後期に遡り、明治九年に湯河原で温泉旅館として営みが始まった。大正十二年築の旧館「楼閣風建築」と昭和期の洛味荘は登録有形文化財に名を連ね、和洋折衷の新館と合わせて様式の重なりを今に伝える。万葉公園は徒歩圏で、千歳川を渡って奥湯河原方面へも歩ける。湯は塩化物泉、料理は江戸前から続く料亭の流儀を継ぐ会席である。建物を残しつつ運営を継ぐという、いま稀になった選択の一軒として、編集部は富士屋を本記事の筆頭に据える。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計したところ、最も高い評価が寄せられているのは料理と建物の歴史的価値、そして仲居の落ち着いた所作。次点で湯の質と離れ感が挙がる。一方、年配の客からは段差や階段のある木造の動線について戸惑いを示す声がわずかに見られる。歴史的建造物を継ぐ宿に共通する論点であり、設備の最新性より様式の継承を選ぶ宿である、という前提は事前に共有しておきたい。
向く人 / 向かない人
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向く:
建築様式と歴史を旅の主目的にする夫婦旅、湯治と読書の連泊、料亭旅館の作法を体験したい人 -
向かない:
段差・階段の少ないバリアフリーの宿を必要とする旅、洋食中心の食を望む人、夕食時間を遅らせたい旅程
具体情報
- 最寄り駅: JR湯河原駅からタクシー約7分(バス「不動滝行」落合橋下車)
- 客室数: 17室(旧館・洛味荘・新館の三棟構成)
- 湯: 塩化物泉、館内に大浴場と貸切湯
- 食事: 朝食・夕食ともに料亭仕立ての会席
- 創業: 1876年(明治9年)— 楼閣風建築は登録有形文化財
- 所在: 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上557(万葉公園至近)
2. 石葉 — 湯河原・若草山中
若草山の斜面に別荘地の数寄屋を生かした、本館と離れの十室。自家源泉の湯を客室の浴槽へ流す静謐の一軒。
Media Picks Score: 94 / 100 10室、温泉旅館。
目安価格 ¥191,000–¥268,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
石葉は、もとは戦前の別荘地として整えられた斜面に、本館と離れを緩やかに配した数寄屋の宿である。客室は十室、いずれも構えと窓の取り方が異なり、坪庭を持つ離れも含まれる。自家源泉を擁し、無色透明の塩化物泉が客室の檜風呂と大浴場に流れ込む。料理は山海の素材を扱う日本料理で、夕食は部屋食を基本とする。客室数の少なさは、結果として「他客とすれ違わない一晩」を作り、別荘で過ごす感覚を再現する。価格帯は本記事の五軒の中で最も高いが、湯と数寄屋の比例感に対する評価として整合している。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、最も高い評価は客室の独立性、湯の温度感と肌当たり、そして仲居の挨拶の節度に集まる。次点で離れの庭、夕食の素材へ続く。一方、坂道の動線とアプローチの長さは事前に把握しておくべき点として複数の声が見られる。山中の宿に共通する性格であり、車で迎えに来る送迎の有無を予約時に確認しておきたい。
向く人 / 向かない人
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向く:
静けさと客室の独立性を最優先する夫婦旅、記念日の連泊、湯の質を主目的にする旅 -
向かない:
観光地巡りを重ねる旅程、幼児連れの家族(離れの段差・坂道)、夕食を遅らせる必要のある旅
具体情報
- 最寄り駅: JR湯河原駅からタクシー約10分(送迎は予約時に要確認)
- 客室数: 10室(本館・離れ)
- 湯: 自家源泉、塩化物泉。客室浴槽と大浴場に流入
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜12:00
- 食事: 部屋食基本の日本料理(山海の素材)
- 所在: 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上749
3. 海石榴 つばき — 奥湯河原・千歳川沿
奥湯河原の渓谷に千坪の敷地を構え、本館と五室の迎賓館で椿の古名を継ぐ料亭旅館。
Media Picks Score: 92 / 100 29室、温泉旅館。
目安価格 ¥123,000–¥162,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
屋号の「海石榴」は、湯河原を代表する花木である椿の古語に由来する。奥湯河原の千歳川沿いに千坪の敷地を構え、本館と渓谷沿いの迎賓館の二棟で計二十九室を運営する。迎賓館は五室のみで、1985年に神奈川県建築コンクール最優秀賞を受けた建物である。料理は会席を部屋食で、湯は専用露天を備える客室を含む。料亭旅館の系譜を担う宿として、奥湯河原の核を成す存在である。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、最も評価が高いのは料理の品数と素材の質、続いて仲居の所作と敷地の広さである。次点で迎賓館棟の独立性、湯の温度管理が挙がる。一方、本館棟と迎賓館棟のグレード差については複数の言及があり、迎賓館棟の予約を選ぶ判断は事前に明確にしておきたい。価格に幅が出る要因の一つでもある。
向く人 / 向かない人
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向く:
料亭旅館の格式を体験したい夫婦旅、記念日の宿、奥湯河原の渓谷散策と組み合わせる旅 -
向かない:
簡素な宿を望む旅、子連れで動線の自由度を必要とする家族旅、駅からの近さを優先する旅程
具体情報
- 最寄り駅: JR湯河原駅からタクシー約15分(奥湯河原温泉終点)
- 客室数: 29室(本館・迎賓館)
- 湯: ナトリウム・カルシウム塩化物泉、専用露天付き客室あり
- 食事: 部屋食の会席料理
- 所在: 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上776(千歳川渓谷沿い)
4. 若松 ゆがわら石亭 — 湯河原・宮上
函館湯の川の老舗「割烹旅館 若松」のもてなしの系譜を継ぎ、2018年にリブランドされた湯河原の十四室。
Media Picks Score: 90 / 100 14室、温泉旅館。
目安価格 ¥58,000–¥105,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
若松ゆがわら石亭は、創業百年の歴史を持つ函館湯の川温泉「割烹旅館 若松」の系譜を、HATANO観光グループが湯河原で受け継ぎ、2018年4月にリブランドして再開した宿である。客室は十四室、大浴場と露天風呂を備える。湯河原の本流の数寄屋系の宿に比べると、価格帯は抑えめで、料理は割烹仕立ての懐石、季節の鮑や和牛を組み合わせるプランで構成される。古い建物の継承というより、老舗の名と作法を別の土地で再起動した、という性格の宿である。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、最も評価が高いのは料理の品数と素材の選定、続いて仲居の所作と立地。次点で湯のかけ流し感、館内の落ち着き、と続く。一方、新築ではなくリブランドであるため建物の古さに触れる声が一定数あり、その点を「歴史」と捉えるか「経年」と捉えるかで満足度が分かれる傾向が見られる。
向く人 / 向かない人
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向く:
割烹仕立ての料理を主目的にする旅、湯河原の本流より価格を抑えたい夫婦旅、誕生日・記念日のプラン利用 -
向かない:
新築の宿を望む旅、駅から徒歩圏を求める旅、洋食中心の食を望む旅程
具体情報
- 最寄り駅: JR湯河原駅からタクシー約10分(バス「理想郷」下車徒歩約7分)
- 客室数: 14室
- 湯: 塩化物泉、大浴場と露天風呂
- 食事: 割烹懐石(鮑・和牛のプラン構成)
- リブランド: 2018年4月(運営: HATANO観光グループ)
- 所在: 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上261
5. ホテルニューさがみや — 熱海・伊豆山
走湯権現の麓、相模灘を望む四十五室。全客室が海に面し、三本の自家源泉の湯を湛える伊豆山の宿。
Media Picks Score: 88 / 100 45室、温泉旅館。
目安価格 ¥76,000–¥99,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
伊豆山温泉は、源頼朝が再興を志した走湯権現の門前に開かれた湯場である。さがみやはその伊豆山の斜面に立ち、全客室が相模灘に面する。和室二十六室、洋室八室、和洋室八室、特別室三室の四十五室で、三本の自家源泉から豊富な湯量を引く。料理は懐石、立地は熱海駅から車で約十分。湯河原の数寄屋系の宿とは違う、海と空の開けた伊豆山の文脈を担う宿として、本記事の五軒目に据える。価格帯は中規模の塩化物泉宿としては落ち着いており、走湯権現参道や伊豆山神社と組み合わせやすい立地である。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、最も評価が高いのは全室オーシャンビューの解放感と朝の海面の光、続いて湯のかけ流し感と湯量。次点で食事の品数、仲居の所作と続く。一方、四十五室と規模が大きいぶん、夕食時間や大浴場の時間帯の混み具合に触れる声が見られる。静謐を最優先する旅では石葉・つばきの系譜を、海の開放感と湯量を選ぶならさがみやを、という棲み分けが成立する。
向く人 / 向かない人
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向く:
相模灘の眺望を主目的にする夫婦旅、伊豆山神社・走湯権現と組み合わせる旅、湯量豊富な塩化物泉を望む人 -
向かない:
二十室以下の小規模宿を望む旅、奥湯河原の渓谷の静けさを求める旅程、夕食を遅らせる必要のある旅
具体情報
- 最寄り駅: JR熱海駅からタクシー約10分(東京駅から新幹線こだまで約48分)
- 客室数: 45室(和室26・洋室8・和洋室8・特別室3)— 全室相模灘を望む
- 湯: 三本の自家源泉、塩化物泉
- 食事: 懐石料理
- 所在: 静岡県熱海市伊豆山601(走湯権現参道近く)
よくある質問
Q. 湯河原と伊豆山の湯質は同じですか。
A. 湯河原温泉と伊豆山温泉はいずれもナトリウム・カルシウム塩化物泉を主とする塩泉で、相模湾岸の同一の地質帯から湧く点で系統が近い。湯河原は『万葉集』に詠まれた古湯、伊豆山は走湯権現の門前湯場として、それぞれ別個の歴史を継いできた。湯の触感は近いが、宿の様式は湯河原が数寄屋・離れ系、伊豆山が眺望と規模を生かす系、と分かれる傾向にある。
Q. 水無月(梅雨期)に訪れる場合の注意点は。
A. 千歳川沿いの宿(つばき・富士屋・石葉)は谷あいに位置するため、長雨の翌日は散策路がぬかるむことがある。一方で水無月は紫陽花が見頃を迎え、夜には蛍を見る機会もある。客室棟と大浴場の動線が屋根付きである宿を選ぶと、雨の日も湯と食を一日通して楽しめる。
Q. 駅から徒歩圏で行ける宿はありますか。
A. 本記事の五軒は、いずれもJR湯河原駅またはJR熱海駅からタクシーまたはバスでのアクセスとなる。最短は富士屋旅館(タクシー約7分)、奥湯河原のつばきは約15分。徒歩圏を最優先する場合は別の宿が候補となるが、湯河原・伊豆山の塩化物泉の系譜を辿るという目的では、本五軒の動線が標準である。
Q. 子連れでも泊まれますか。
A. 規模の大きいさがみやと若松ゆがわら石亭は対応しやすく、家族旅にも向く。一方、石葉・つばきの離れ系統は段差と坂道があり、幼児連れでは動線が制約を受ける。富士屋旅館は登録有形文化財の建物のため、年齢の幼い子連れの場合は予約時に動線の確認をしておきたい。
Q. 一人旅でも受け入れていますか。
A. 規模の大きいさがみやは一人での宿泊プランを設定する時期があり、若松ゆがわら石亭も平日プランで受け入れる場合がある。一方、客室十室前後の石葉・つばき・富士屋は二名利用が基本となるため、一人旅の場合は各宿に直接の確認が必要である。
本記事の参考情報
・湯河原温泉公式観光サイト — 湯河原温泉の歴史と立ち寄り情報
・伊豆山神社 — 走湯権現と源頼朝の縁起
・Wikipedia: 湯河原温泉 — 万葉集の歌枕と湯治の系譜
編集部から
湯河原と伊豆山の境を辿る旅は、塩化物泉という共通項を持ちながら、奥湯河原の渓谷と伊豆山の海岸線という対照的な二つの相を併せ持つ。万葉の歌枕が湧き、走湯権現が湯を再興した経緯は、いずれもこの相模灘の地質と湯質に裏付けられている。本記事の五軒は、その系譜を異なる規模と様式で継ぐ宿である。次は同じ相模湾岸を辿って真鶴・小田原の系譜、あるいは伊豆半島を南下して伊東・修善寺の湯場へ。塩化物泉という一筋を縦に辿るとき、湯河原は始まりであり、伊豆山はその折り返し地点でもある。