名旅館
数寄屋大工という職能 — 旅館の客間を組み上げてきた者たちの、いま語られない継承について
盛夏の朝、旅館の客間に座ると、床柱と書院、欄間と組子に、数寄屋大工の手跡が残る。京都の俵屋旅館、金沢の金沢茶屋、松江の皆美館の三軒を通じて、明治以降に温泉地を巡って客間を組んだ職能の系譜と、いま語られない継承を、随筆として綴る。
看板娘という時代 — 旅館の女将の前にあった、若女将不在の家系継承について
昭和の戦前まで、湯場の宿の継承は「看板娘」と呼ばれる長女の表舞台立ちから始まった。東北・北陸の三軒の老舗旅館に照らし、家系図に残らない女性たちの仕事を記録から読み解く随筆。
仲居という職能 — 客間の時間を設えた者たちの、いま語られない作法について
盛夏、夕餉の膳を運ぶ廊下に打ち水の冷気が立つ頃、客間と板場をつなぐ仲居の働きに目を向ける。京の老舗・俵屋旅館(1704年創業)と柊家(1818年創業)を手掛かりに、座配りと膳出しの間合い、女将への継承の系譜を辿る。
黒川と小田、奥阿蘇の里に代を継ぐ名旅館四軒 — 田の原川の谷と入湯手形の系譜
梅雨明けの阿蘇外輪山を背に、黒川温泉郷と小田温泉、奥阿蘇の里湯に代を継ぐ家族経営の名旅館四軒。御客屋(1722年創業)を起点に、田の原川の谷と入湯手形の系譜を編集的に整理する。
湯河原藤木川、明治二十一年から続く文人宿の一軒 — 万葉集に詠まれた湯場に一三七年を継ぐ伊藤屋の記
湯河原温泉・藤木川左岸、明治二十一年(一八八八年)創業の伊藤屋。本館の二棟と門柱・石垣が国の登録有形文化財、島崎藤村『夜明け前』ゆかりの一三室の老舗旅館を、編集部が取り上げる。
蔵王高湯、樹氷の里に三百余年を継ぐ一軒 — 強酸性の白濁湯と高見屋の数寄屋を守る宿の記
標高八百八十メートルの蔵王高湯に、享保元年から三百年余りを継ぐ深山荘 高見屋。pH一・九前後の強酸性硫黄泉と築百年超の木造の数寄屋を、緑陰の夏に静かに訪ねる。
大峯の麓、洞川の木造三層に五百年を継ぐ一軒 — 行者宿の系譜とごろごろ水の里を守る宿の記
標高820mの修験の谷・洞川温泉に五百年続く行者宿、花屋徳兵衛。大峯山参りの講中を迎えてきた木造の館と、名水ごろごろ水の里の食を一軒だけ深く訪ねる。盛夏の避暑にも。
熱海伊豆山、走り湯を引く一軒 — 明治の温泉旅館建築と海を借景にする数寄屋
横山大観が常宿とした熱海・山王山の数寄屋旅館。平田雅哉の客室と龍居松之助の一万余坪の庭、二本の源泉、相模湾を借景にする一軒を深く訪ねる。
伊勢二見浦、夫婦岩を望む参詣宿四軒 — 内宮おかげ参りの宿場に代を継ぐ宿
盛夏の伊勢・二見浦、夫婦岩を望む海辺にお伊勢参りの前夜を整える参詣宿四軒。明治26年創業の麻野館、夫婦岩前の大石屋、海鮮割烹の海洋楼、四代続く浜千代館を、創業年と海の幸を軸に編む。
湯札という証 — 旅館の湯場に下げられた一枚の木札が、いかに湯の権利を継いできたか
夏の朝、外湯の戸口に揺れる湯札。湯量の限られた谷で湯の権利と順番を代々継いできた小さな木札を糸口に、城崎・野沢の外湯文化と老舗旅館の継承を辿る随筆。