参詣講の常客を代々の定宿として迎えてきた宿は、いまも各地に残っている。秋の彼岸、社寺の参道に立ち並ぶ石の玉垣に目をやると、そこに彫られているのは寄進した「講」の名である。江戸から昭和にかけて、伊勢へ、大山へ、出羽三山へと向かった人々は、ひとりで宿を探したのではない。村や町、あるいは同じ生業の仲間で講を結び、積み立てた金で代表を送り出し、行き先では決まった一軒に草鞋を脱いだ。宿と客の縁が、個人ではなく共同体の単位で、しかも代を越えて結ばれていた時代である。本稿では、その関係を今日に伝える二軒を手がかりに、講中という縁の作法を辿りたい。


先導師旅館 古宮 — 神奈川県伊勢原市大山 · 参道に面した玄関前に「先導師旅館」の看板と献燈の石柱、右手に講の名を刻む玉垣が並ぶ
PHOTO: 先導師旅館 古宮 — 公式サイトを見る →

講とは、旅の元手を積み立てる共同体だった

講という言葉が、まず旅の形を決めていた。信仰を同じくする者が集まって銭を積み、順番やくじで選ばれた者が皆に代わって社寺へ参る。これを代参といい、道中の宿と作法を差配する者を先達と呼んだ。参るのは数人でも、背負っているのは村や仲間内の願であるから、道筋も泊まる宿も、その都度あらためて選び直すものではない。一度縁を結んだ宿へ、翌年もその翌年も同じ講が訪れる。定宿とは、そうして時間をかけて固まっていった関係の呼び名である。

この関係は、宿の側の構えにも跡を残した。伊勢原市が日本遺産「大山詣り」の構成文化財として掲げる解説によれば、大山の麓には大山講の名を彫った玉垣に囲まれた建物が参道沿いに多く建てられ、それらは大山詣りの折に大山講中が泊まった旅館であるという。店先に掲げられるのは「何々坊」あるいは「先導師何某」の名。先導師はかつて御師と呼ばれ、徳川家康による大山山内改革で山を下りた修験者たちが、大山信仰の布教と講の世話を担うようになった者を指す。宿坊ごとに大山阿夫利神社を分霊した社を構えるのが、一般の宿と異なる点だと同市は記す。玉垣は寄進の記念であると同時に、この宿はどの講のものかを道行く人へ知らせる看板でもあった。

相模大山 — 玉垣に講の名を刻む、先導師の宿

大山の参道は、いまも坂と石段の町である。関東大震災に伴う山津波で多くの宿坊が流されたと伊勢原市は記すが、被災を免れた建物や再建されたものが残り、安政年間まで遡る建築も伝わる。その一角、良弁滝のほど近くに、先導師旅館 古宮がある。

先導師旅館 古宮(神奈川県伊勢原市大山512)の公式サイトは、自館の来歴をこう説明している。江戸期に庶民のあいだで大山信仰が深まり、雨乞いを願う農家、水に縁の深い火消しや酒屋、ご神体の刀に因む大工・石工・板前などが、商売繁盛や相互扶助を目的に講を組んで参るようになった。当館が大山講を世話する先導師としての歴史を始めたのも、その頃だという。宗教法人としての名は大山阿夫利神社本庁古宮教会。当主は代々「古宮惣左衛門」を名乗り、現当主の古宮宏和で十七代を数える。四百有余年、名を継ぐことで客との縁を継いできた宿である。


先導師旅館 古宮 第十七代当主 古宮宏和 — 「とうふ料理」の扁額を掲げた献燈の石柱を背に立つ
PHOTO: 先導師旅館 古宮 第十七代当主 古宮宏和 — 公式サイト「古宮旅館データ」を見る →

膳の主役は、大山名物の豆腐である。目の前で引き上げるゆばを添えた豆腐会席が基本にあり、十一月から五月にかけては猪鍋・鹿鍋が加わる。館内の風呂は大小二つの共同浴場、客室は四畳半から八畳の和室が別館に並び、本館には四十畳の広間が残る。五十名を収容するこの広間こそ、講の一行を一室に迎え、膳を並べて夜を過ごした名残であると読める。豪奢な設えの宿ではないが、大人数を同じ間で遇するという構えが、いまも建物に残っている。

先導師旅館 古宮 — 具体情報

  • 所在地: 神奈川県伊勢原市大山512
  • 客室: 全11室(別館は和室4.5〜8畳。本館に和室40畳・20畳の広間)
  • 継承: 創業四百有余年。当主は代々「古宮惣左衛門」を名乗り、現当主・古宮宏和で17代
  • 料金: 一泊二食11,000円〜14,000円(税別)/一泊朝食7,000円(税別)/素泊まり6,000円(税別)
  • チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜10:00
  • 食事: 豆腐会席、手造りゆば。猪鍋・鹿鍋は11月〜5月限定
  • 風呂: 共同浴場(大・小)7:00〜23:00。バス・トイレは共同
  • アクセス: 小田急線伊勢原駅から「大山ケーブル」行バス20分、「良弁滝」下車 徒歩2分。駐車場は乗用車5台・無料
  • Media Picks Score: 92 / 100

出羽三山 — 相馬の講を、代々迎えてきた宿坊

東北の山にも、同じ型の縁がある。羽黒山の麓、手向の集落には宿坊が軒を連ね、日本遺産の構成文化財「手向の宿坊街」として知られる。西の伊勢参りに対し、東の奥参りと並び称された霊場である。羽黒町観光協会の一覧を見ると、いまも十数軒の宿坊が電話番号と収容人数を添えて並び、参籠の宿がこの町の産業として続いていることが分かる。


羽黒山の杉木立を抜ける石段の参道 — 宿坊 大聖坊 公式サイトのメイン写真、山形県鶴岡市羽黒町手向
PHOTO: 羽黒山の石段参道 — 宿坊 大聖坊 公式サイトを見る →

そのなかの一軒、宿坊 大聖坊(山形県鶴岡市羽黒町手向字手向99)は、手向で四百年続く宿坊で、羽黒山伏の最高位である松聖を務める星野文紘が十三代目当主にあたる。公式サイトは、宿坊とはもともと特定の地域に所縁のある参拝者、すなわち講を受け入れる役割の大きい宿であったと述べ、大聖坊も代々、福島県相馬地区などの参拝者を迎えてきたと明かしている。庄内の山に、浜通りの講が代々通った。地図の上では遠く見える二つの土地が、一軒の宿を介して結ばれていたことになる。

膳は精進料理である。月山の雪解け水が育てた作物を用い、出羽三山に伝わる四季の献立を継ぐ。鶴岡は食文化の分野で日本の都市として初めてユネスコ創造都市ネットワークに加盟した土地であり、大聖坊は手向地区の精進料理の取り組みにも加わっていると公式サイトは記す。宿泊は夕食の精進料理を含む二食付で9,500円(税込)、素泊まりは4,320円(税込)。風呂は近くの入浴施設へ案内される。朝の勤行に加わることもでき、希望すれば講話や祈祷の札を受けられる。設備で競う宿ではなく、山の作法を分けてもらう宿だと言える。

宿坊 大聖坊 — 具体情報

  • 所在地: 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向99
  • 規模: 収容人数20名(羽黒町観光協会の宿坊一覧による)
  • 継承: 手向地区で400年続く宿坊。十三代目当主は羽黒山伏最高位の松聖・星野文紘
  • 講との関係: 代々、福島県相馬地区などの参拝者(講)を受け入れてきた
  • 料金: 夕食精進料理プラン(二食付)9,500円(税込)/素泊まり4,320円(税込)
  • 食事: 出羽三山伝来の精進料理(要予約)
  • 風呂: 館外の温泉施設へ案内
  • アクセス: JR鶴岡駅前から庄内交通バス「羽黒山頂」行で約40分、「桜小路」下車 徒歩2〜3分。タクシーは約30分
  • Media Picks Score: 81 / 100(公開レビューの母数が小さく、参考値として示す)

講が細り、定宿という型だけが残った

昭和の後半、講は急速に数を減らした。交通が速くなり、団体の参詣は旅行会社の企画へ置き換わり、村や町の結びつきそのものが薄れていったからである。宿の側から見れば、毎年決まって訪れる一団が消えるということであり、それは客数の問題であると同時に、宿の存在理由の問題でもあった。大山の参道でも、羽黒の宿坊街でも、看板を下ろした家は少なくない。

それでも、型は残った。大聖坊の公式サイトは、以前は一般の来訪者の宿泊が限られていたものの、近年は自然との共生のあり方や精神的な拠りどころを求める人が増え、かつてとは違う新しい「講」のような集まりができつつあると記している。血縁でも地縁でもない者たちが、同じ宿へ繰り返し通い、同じ主人に導かれて山へ入る。呼び名は変わっても、宿と客が代を越えて付き合うという構図は変わっていない。

宿を選ぶとき、私たちは設備や食事の内容を並べて比べる。だが講の宿を訪ねると、比較という行為の外側にある関係が、かつて確かに存在したことに気づかされる。決めてしまえば、あとは通い続けるだけ。その潔さが、玉垣の文字にも、代々受け継がれた当主の名にも刻まれている。秋の彼岸、参道の宿に灯がともる頃に思い出したいのは、その静かな契りの方である。

本稿で触れた宿

宿 エリア 講との縁 目安料金 Score
先導師旅館 古宮 神奈川県伊勢原市大山 江戸期より大山講を世話する先導師。当主は代々古宮惣左衛門、現17代 ¥11,000〜¥14,000
一泊二食・税別
92
宿坊 大聖坊 山形県鶴岡市羽黒町手向 代々、福島・相馬地区などの講を受け入れ。十三代目当主が守る四百年の宿坊 ¥9,500
二食付・税込
81

※ Media Picks Score は、公開レビューデータを集計した評価と、本稿の主題への適合という編集判断を合わせた独自指標です。料金は各宿の公式サイトが掲げる宿泊プランの表示価格であり、時期・人数により異なります。

よくある質問

Q. 講に属していなくても、こうした宿に泊まれますか。

A. 泊まることができます。かつては特定の講の受け入れが中心でしたが、現在はいずれの宿も一般の宿泊を受け付けています。大聖坊は公式サイトで、以前は一般客の宿泊が限られていたものの、近年は広く来訪者を迎えていると説明しています。古宮も公式サイトから宿泊予約の申し込みができます。ただし小規模な宿であるため、精進料理や会席は事前の予約が前提と考えておくのが確実です。

Q. 先導師旅館と、普通の旅館はどこが違うのですか。

A. 伊勢原市の日本遺産解説によれば、宿坊ごとに大山阿夫利神社を分霊した社が置かれている点が、一般の宿と異なる特徴です。主人である先導師は、参拝者を導く役目を代々担ってきました。建物の外周を囲む玉垣に講の名が彫られていることも見分ける手がかりになります。参道を歩きながら玉垣の文字を読んでいくだけでも、どの土地のどんな生業の人々がこの山に通ったのかが伝わってきます。

Q. 食事はどのようなものが出ますか。

A. 土地の作法がそのまま膳に出ます。古宮は大山名物の豆腐を軸にした会席で、手造りのゆば、そして11月から5月にかけては猪鍋・鹿鍋が加わります。大聖坊は出羽三山に伝わる精進料理で、月山の雪解け水に育った山の作物が中心です。いずれも肉や魚の豪華さで競うものではなく、山と門前町が長く続けてきた献立を受け継ぐ膳だと考えるのがふさわしいでしょう。

Q. 参詣と組み合わせるなら、どの季節が良いでしょうか。

A. 秋の彼岸から晩秋にかけては、参道の人出が落ち着き、山の色が変わる時季にあたります。大山は参道の石段と坂の町ですから、歩きやすい靴を用意しておきたいところです。羽黒山は杉並木の石段が長く、冬季は雪の影響を受けます。いずれも山中の宿であり、季節によって交通やバスの本数が変わるため、日程は宿と交通事業者の案内で確かめておくと安心です。

Q. 一人で泊まっても差し支えありませんか。

A. 差し支えありません。かつての講は十数名の一団で訪れましたが、現在は一人旅の宿泊も受け入れられています。古宮の別館には和室4.5畳(定員1〜2名)があり、大聖坊も個人での参籠に応じています。むしろ講の消えた参道を一人で歩き、玉垣の名を読み、宿の広間の大きさから往時の人数を想像する旅は、この主題にふさわしい静けさを持っています。

本記事の参考情報

伊勢原市 日本遺産「大山詣り」構成文化財「参道沿いに建てられた宿坊」 — 玉垣・大山講中・先導師(御師)の解説
日本遺産ポータルサイト(文化庁)「手向の宿坊街」 — 出羽三山門前の宿坊街の位置づけ
羽黒町観光協会「羽黒エリア 宿坊・旅館・ホテル」 — 手向の宿坊一覧と収容人数
Wikipedia: 講 — 代参講・先達など講の制度的背景

編集部から

本媒体は湯と膳を軸に宿を訪ねてきましたが、今回辿ったのは、設備の外にある宿の資産でした。四百年、十七代、十三代目という数字は、建物の古さではなく、関係が途切れなかった年数を指しています。玉垣に名を刻んだ講の多くはすでに解散し、当時の常客は誰一人残っていない。それでも宿が名を継ぎ、山へ導く役目を手放さずにいるのは、次に訪れる誰かとまた長い付き合いを始めるためでしょう。次は、門前町の膳がその土地の産物とどう結ばれてきたかを、一軒の献立から辿ってみたいと考えています。

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