神無月の四万川に朝霧が立つ頃、積善館は元禄四年(1691年)建築の本館、昭和五年の元禄の湯、昭和十一年の山荘、昭和六十一年の佳松亭という四つの時代を一つの斜面に重ね、同じ湯を守り続けています。開業は元禄七年(1694年)。三百年を超える湯宿が、建て替えではなく建て増しによって歳月を残してきた点に、この一軒を深く読む理由があります。雪が谷を閉ざす季節を前に、建築の年代順に館内を歩きます。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

1. 積善館 — 群馬県中之条町・四万温泉

赤い橋の先に、元禄・明治・昭和の建物が斜面に連なる。湯宿建築の歳月を一泊で歩ける一軒。

湯治棟の本館と、旅館棟の山荘・佳松亭からなる三館構成の温泉旅館。

目安価格 本館 ¥23,000–¥25,000 / 山荘・佳松亭 ¥52,000–¥64,000 / 泊 (2名1室・通常期)


積善館 本館 — 群馬県中之条町・四万温泉 · 赤い橋の先に建つ元禄四年建築の木造湯宿と、右手の元禄の湯のアーチ窓
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元禄の本館 — 二階建ての湯治宿に、明治が三階を載せた

本館が、この宿の時間の起点です。宿の沿革によれば、関善兵衛が元禄四年(1691年)に現在の場所へ湯場と宿を設け、三年後の元禄七年(1694年)に旅籠として開業しました。当初は二階建ての湯治宿で、玄関まわりの太い梁と柱がその頃の面影を伝えています。湯治客が増えた明治三十年頃には、書院風の座敷をもつ三階が増築されました。つまり本館は、一つの建物の中に江戸と明治の層が上下に重なっているわけです。宿は本館を「現存する日本最古の木造湯宿建築と伝えられる」と案内しており、群馬県の重要文化財に指定されています。

屋号の由来も、この建物に掛かっています。土地の人が当主を「せきぜん」と呼んだことから、明治期に第十五代が『易経』の「積善の家に余慶あり」を引いて積善館と名づけました。玄関の看板は現在新調されたもので、十五代の筆による元の看板は館内の資料室に収められています。

昭和五年の元禄の湯 — 名は元禄、造りは昭和初期の洋風

積善館 元禄の湯 — 四万温泉 · 昭和五年築、タイル張りの床に五つの石造り浴槽が並びアーチ窓から光が入る浴場
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湯が、この宿でいちばん雄弁に時代を語ります。元禄の湯は名こそ元禄ですが、建てられたのは昭和五年(1930年)。一階の浴場は鉄筋コンクリート造で、その上に木造二階建ての客室を載せる形式をとっています。タイル張りの床に石造りの浴槽が五つ並び、湯は浴槽の底から湧く仕立て。大きな湯船がまだ一般的でなかった時代の割り方が、そのまま残りました。アーチ形の高窓から入る光、脱衣所と浴室を仕切らない古い形式、そして風呂の原型ともいわれる蒸し湯。2022年の修復ではタイルを建築当時の形に戻しています。宿はこの浴場を町の重要文化財として案内しています。

泉質はナトリウム・カルシウム塩化物硫酸塩温泉。四万は古くから胃腸に働く湯として知られ、館内には飲泉所が本館と佳松亭の二か所に設けられています。強い酸性の草津で湯治をしたあとに肌を休める「草津の仕上げ湯」という呼び名も、この谷の湯の穏やかさを言い当てたものです。なお、源泉の本数や毎分の湧出量については宿の公開情報に数値の記載が見当たらず、本稿では記していません。

昭和十一年の山荘 — 組子障子が部屋ごとに違う

積善館 山荘 — 四万温泉 · 昭和十一年築、国の登録有形文化財。組子障子と欄間を残す和室
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本館の奥、斜面を一段上がったところに山荘があります。昭和十一年(1936年)築、桃山様式の木造建築で、国の登録有形文化財と群馬県近代化遺産に登録されています。見どころは客室ごとに意匠の異なる組子障子。細い木を釘を使わずに組んで文様をつくる建具で、同じ柄が二つとないところに当時の職人の手間がうかがえます。同じ年には、山荘の残材で建てたと伝わる向新が赤い橋の対岸に建ち、こちらは中之条町の重要文化財。現在は薬膳の食事処として使われています。

山荘は保存されているだけではありません。2015年以降、数室ずつ源泉かけ流しの半露天風呂を備えた客室へと改められ、2021年には三階に格天井を修復したラウンジが開きました。古い建具を残したまま水まわりを更新するという手の入れ方が、文化財に泊まることを現実的なものにしています。

昭和六十一年の佳松亭 — 老松の高台に置かれた現代の旅館棟

積善館 佳松亭 — 四万温泉 · 昭和六十一年築の旅館棟、家紋入りの暖簾が掛かるエントランス
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山荘のさらに奥、松林と竹林に囲まれた高台に佳松亭が建ったのは昭和六十一年(1986年)です。総合フロント、内風呂と露天風呂を備えた杜の湯、食事処がここに集まり、三館のうちもっとも現代の旅館らしい機能を担っています。三つの建物は斜面に沿ってトンネルと階段でつながり、本館二階から「浪漫のトンネル」を抜け、山荘四階の「鏡の廊下」を経て佳松亭へ至ります。歩けば数分のこの動線が、元禄から昭和末までを一筆書きにしているわけです。

滞在の体験 — 湯治棟と旅館棟、二つの泊まり方

同じ湯に入るにしても、どの棟に泊まるかで旅の性格が変わります。本館は湯治棟で、係はつかず、寝具の上げ下ろしは自分で行う昔ながらの流儀。浴室と手洗いは共同です。重要文化財のため自炊はできず、食事は「積善弁当」と呼ぶ弁当形式で、こんにゃく・しいたけ・ねぎの頭文字をとった群馬の郷土汁「こしね汁」に上州麦豚を合わせた椀が付きます。隣の壱番館には、床下を源泉が流れる天然の床暖房の客室があります。一方、山荘と佳松亭は旅館棟で、夕食は季節の会席料理。客室に源泉かけ流しの露天や半露天を備えた部屋も選べます。宿泊者はどの棟に泊まっても、すべての湯を巡ることができます(貸切風呂は有料の予約制)。

集約レビューが映すこの宿の本質

公開レビューデータを集計すると、評価の件数は四万温泉の中でも多く、旅館棟である山荘・佳松亭の評価が湯治棟の本館を上回る傾向が見て取れます。この差は宿の優劣というより、泊まり方の違いを映したものと言えます。本館は木造ゆえに音が響くこと、階段が多くエレベーターがないこと、水まわりが共同であることを、宿みずからが予約前に断っています。建物の古さを目的に訪れる人には長所となり、設備の快適さを求める人には短所となる。その分かれ目が、数字にそのまま表れていると編集部は読みました。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    建築の年代を見比べながら湯を巡りたい夫婦旅、湯治の流儀で静かに連泊したい一人旅(本館・壱番館)、文化財の客室で会席を味わいたい記念日の旅(山荘)
  • 向かない:
    階段の上り下りが負担になる人(本館にエレベーターなし)、物音に敏感な人(本館・山荘は木造で音が響く)、駅からの送迎を前提にした旅程(送迎なし)

立地と周辺 — 雪の季節の備え

四万温泉は、昭和二十九年に国民保養温泉地の第一号に指定された谷あいの湯治場です。積善館はその温泉街の奥、四万川に架かる赤い橋を渡った先にあります。JR吾妻線の中之条駅から路線バスで約40分、終点の四万温泉で降りて本館まで歩いて2分。山荘・佳松亭に泊まる場合も、まず本館へ向かいます。東京駅からは直通の高速バスが約3時間半で結び、冬から春にかけては増便があります。十二月から三月頃は路面が凍るため、車で向かうなら冬用タイヤかチェーンが欠かせません。本館の駐車場へ続く通路はもっとも狭い箇所で幅230センチ、高さ250センチ。大きな車の人は事前に確かめておくと安心です。

具体情報

  • 最寄り駅: JR吾妻線 中之条駅から路線バス約40分(タクシー約20分)、終点「四万温泉」から本館まで徒歩 2 分。駅からの送迎なし
  • チェックイン: 本館 15:00〜17:00 / アウト 〜10:00、山荘・佳松亭 15:00〜18:00 / アウト 〜11:00
  • 客室: 本館 7.5畳・10畳・10畳+3畳の和室、壱番館 6畳。山荘の特別室は 70〜75 ㎡で源泉かけ流しの半露天風呂付き
  • 食事: 本館は弁当形式(夕食 18:00〜19:30、朝食 7:30〜9:00)、山荘・佳松亭は会席料理
  • 湯: 元禄の湯(本館)5:00〜25:00、山荘の湯(鍵付きの家族風呂 2 か所)5:00〜25:00、杜の湯(佳松亭)5:00〜11:00・15:00〜25:00(露天大浴場の新設工事期間中)、貸切風呂「湯養 TOYO」(本館)1 回 45 分 3,300 円
  • 泉質: ナトリウム・カルシウム塩化物硫酸塩温泉(飲泉可)
  • 沿革: 1691年 本館建築、1694年 開業、1930年 元禄の湯、1936年 山荘、1986年 佳松亭、2018年 全室禁煙
  • 駐車場: 本館と山荘・佳松亭で別。日帰り利用は徒歩約5分の桐の木平駐車場(無料)

編集部の評価

公開レビューデータを集計した評価の水準と件数の厚みを土台に、編集部が主題との適合を加味しました。加点の理由は三つあります。温泉街の中心にあって終点のバス停から歩いて2分という立地、元禄から昭和までの建築を現役の宿として使い続けている点、そして元禄の湯という他に例の少ない浴場をもつ点です。一方で、棟によって設備と価格の差が大きいことは、選ぶ前に知っておくべき事柄として記しておきます。

よくある質問

Q. 積善館の創業はいつですか?

A. 宿の沿革では、元禄四年(1691年)に現在の場所へ湯場と宿を建て、元禄七年(1694年)に旅籠として開業したとされています。本館はその建物を母体に、明治三十年頃に三階を増築したものです。

Q. 文化財に指定されているのはどの建物ですか?

A. 本館は群馬県指定の重要文化財、昭和十一年築の山荘は国の登録有形文化財で群馬県近代化遺産にも登録されています。赤い橋の対岸に建つ向新は中之条町の重要文化財です。

Q. 本館と山荘・佳松亭はどう違いますか?

A. 本館は湯治棟で、寝具の上げ下ろしを自分で行い、浴室と手洗いは共同、食事は弁当形式です。山荘と佳松亭は旅館棟で会席料理が付き、客室に露天や半露天を備えた部屋もあります。どの棟に泊まっても館内の湯は巡ることができます。

Q. 冬に訪れる際の注意点は?

A. 十二月から三月頃は積雪がなくても朝晩に路面が凍るため、車の場合は冬用タイヤの装着かチェーンの携行が必要です。東京駅からの直通バスは冬から春にかけて増便があります。運行は変更されることがあるため、出発前に確認してください。

Q. 子ども連れでも泊まれますか?

A. 本館では小学生以下の子ども向けに別の献立の弁当が用意されています。山荘には内側から鍵の掛かる家族風呂が二か所あります。ただし本館は階段が多く、木造で音が響く点を考えて棟を選ぶとよいでしょう。

Q. いま工事は行われていますか?

A. 宿の告知によれば、佳松亭の客室改装工事が2026年9月15日から12月下旬までの予定で進められており、音の出る作業は10時から15時頃が中心です。佳松亭の中庭では露天の大浴場を新設する工事も2026年8月から始まっています。

本記事の参考情報

・積善館 公式サイト「積善館について」 — 沿革・歴史年表・建物の年代
・中之条町観光協会 四万温泉 — 温泉地の観光情報
・Wikipedia: 四万温泉 — 歴史・地理の背景

編集部から

積善館を一軒だけで取り上げたのは、ここが「古い宿」ではなく「古さを足し続けた宿」だからです。元禄の柱に明治の三階が載り、昭和初期の洋風の浴場が隣り合い、その奥に意匠を凝らした昭和十一年の山荘と、昭和の終わりの旅館棟が続く。どの時代も前の時代を壊さずに隣へ建てたため、宿そのものが湯治場の年表になりました。雪の四万は、木造の軒と赤い橋の色がもっとも冴える季節です。湯宿の建築を時代ごとに読むというこの見方を、次はどの温泉地で試すべきでしょうか。

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