盛夏の朝、客間の床に座る。柱の銘木に手を触れ、長押の角に視線を落とすと、ふと気づくことがある。釘の頭ひとつ見えぬ仕舞い、床柱と落とし掛けの取り合い、欄間の透かしと書院の障子組子。そこには、図面を引いた建築家の名でも、施主の名でもない、別の誰かの手跡が残っている。数寄屋大工と呼ばれる職能の、いま語られない継承についての記である。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

千家好みの茶室から、旅館の客間へ

数寄屋という言葉は、もともと侘び茶の茶室を指した。利休に始まり、三千家を経て体系化された茶室の造作は、面皮の柱、土壁、天井に張る蒲や葦の網代、躙口の小さな扉といった意匠を、寸法も含めて精緻に定めていった。これを住宅建築に転じたのが、武家屋敷や数寄者の別邸である。茶室と書院造を融合した「数寄屋造」は、江戸期にすでに大名家の別邸や豪商の住まいで根を下ろしていた。

転機は明治末から大正にかけてである。鉄道網が伸び、湯治場が観光地として整備されていく過程で、温泉旅館は座敷の格式を競うようになった。客は遠方から来る。宿の格は、玄関でも料理でもなく、まず客間の造りで測られた。床の間と書院、廊下と縁、それらの収まりに、数寄屋造の所作が必要とされた。

このとき、各地を巡って客間を組んだのが数寄屋大工と呼ばれる職人である。京から来る者もあれば、加賀の名門の宮大工系譜から派生した者もあった。彼らは図面を残さず、棟梁の口伝と現場の合議で寸法を決めた。床柱に何を据えるか、欄間にどの透かしを入れるか、書院の組子をどの程度まで細くするか。それぞれが施主と、建物のすでにある柱割りと、そして自身の流儀のあいだで決めていった。

三軒の客間に残る手跡


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PHOTO: 俵屋旅館 — 公式サイトを見る →

俵屋旅館 — 京都・中京区姉小路通麸屋町

宝永元年(1704年)から続く京の老舗旅館。十一代にわたる主が、数寄屋大工の手と京町家の骨格を、改修のたびに引き直してきた一軒。

Media Picks Score: 95 / 100  18室、京町家造の老舗料理旅館。

俵屋旅館は1704年(宝永元年)の創業と伝わる。京の宿の最古参である。建物は明治・大正・昭和の度重なる改修を経ているが、客間に残る面皮柱と書院、中庭に向かう障子の組子の細さは、京数寄屋の典型をいまに残す。1958年の大改修では、当時の十一代主と建築家・吉村順三が手を組んだ。吉村は近代建築家であるが、数寄屋の寸法に精通しており、改修にあたっては京の数寄屋大工の系譜を継ぐ職人らを呼び集めた。床柱に何を据えるか、書院の地袋をどう仕舞うかは、現場で棟梁と十一代の合議で決めたという。いまも客室それぞれに異なる床の意匠が残り、宿の格を物語る。盛夏には、二階の客間の障子を半分閉ざすと、白砂と苔の中庭から涼気が立ち上る。

1704年創業の数字は、たんに古いということではない。三百二十年のあいだに何度建物が組み直され、何代の大工が手を入れたかという記憶の長さを意味している。同宿の改修記録は、京の数寄屋大工の継承を語るうえで、いまも一次資料に近い価値を持つ。


料理旅館 金沢茶屋 — 金沢駅東口徒歩三分 · 加賀屋系譜の数寄屋造和室と輪島塗の調度
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料理旅館 金沢茶屋 — 石川県・金沢市本町

和倉温泉の加賀屋を本家とする数寄屋造の純和風旅館。金沢駅から徒歩三分、輪島塗の建具と床柱を、能登の宮大工系譜が組んだ一軒。

Media Picks Score: 92 / 100  19室、加賀屋グループ運営の純和風料理旅館。目安価格 ¥68,000-¥77,000 / 泊 (2名1室・通常期)

金沢茶屋は2008年の開業と新しい。だが背後には、和倉温泉「加賀屋」の二代続いた茶室普請の系譜がある。能登の宮大工は、もとは寺院や神社の組物を扱う一群であった。明治期、和倉が湯治場として整備されるにつれ、彼らは旅館の客間造りに転じていった。書院の細工は宮大工特有の組物の知識と数寄屋の意匠が結びついた独特のもので、京の数寄屋とはまた異なる味わいを持つ。金沢茶屋の客間は、こうした能登・加賀の数寄屋系譜を、駅前の小さな旅館に圧縮した形で残している。床柱は地杉、欄間は加賀の組子、調度には輪島塗を据える。盛夏には、二階の客間の簾越しに見える街路樹の影が、畳に時間の経過を映す。


皆美館 — 島根・松江市末次本町 · 宍道湖を借景にする明治二十一年創業の文人宿
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皆美館 — 島根県・松江市末次本町

明治二十一年の創業から宍道湖畔に立つ文人宿。出雲地方の宮大工と京の数寄屋が交わる客間と、樹齢三百年の松の借景が残る一軒。

Media Picks Score: 91 / 100  19室、宍道湖畔の老舗料理旅館。目安価格 ¥73,000-¥96,000 / 泊 (2名1室・通常期)

皆美館は1888年(明治二十一年)に宍道湖畔の松江末次の地で開業した。芥川龍之介、与謝野晶子、小泉八雲ら多くの文人が逗留したことで知られ、館内には文人の遺品や書を展示した一室がある。建物は明治・昭和・平成と度重なる増改築を経ているが、宍道湖に面した本館の客間には、出雲地方の宮大工の系譜と、京から呼ばれた数寄屋大工の手が交わった跡が残る。床柱には地元の銘木、書院の組子は京の細工。両者の組み合わせには、明治期の松江という土地の、文化的な開かれ方が反映されている。庭の松は樹齢三百年といわれ、客間の障子を開けると、その松と宍道湖の水面が一続きの借景となる。盛夏の朝、湖面に靄が立ち、松の影が客間の畳に伸びる時間帯は、数寄屋造のために設計されたとしか思えない光景である。

継承の難しさと、宿という器

数寄屋大工の継承は、いま深い問題に直面している。第一に、木造在来工法の住宅需要そのものが減り、若手の宮大工・数寄屋大工が育つ場が消えつつある。第二に、文化財保護制度は、社寺や城郭の建築には手厚いが、旅館や料亭の客間の意匠までは指定の対象に入りにくい。第三に、施主側の旅館経営者にも、改修のたびに数寄屋の系譜を保つだけの体力が残らない。経営合理化の名のもとに、床柱を集成材に替え、欄間を取り払い、廊下を絨毯敷きに改装する選択は、決して例外ではない。

そのなかで、三軒の宿が客間の意匠を保ち続けているのは、たんに古いものを残しているからではない。改修のたびに、どこの大工に頼むか、どの寸法で組み直すかを、宿が判断してきたからである。京の俵屋旅館、加賀の金沢茶屋、出雲の皆美館。それぞれの土地で、それぞれの数寄屋大工の系譜と結びつきながら、客間を組み直してきた。図面化されない知識を、宿の壁と柱が記録媒体として保存している、と言ってもよい。

盛夏の朝、客間に座って柱を見上げる時間は、その記録を読み解く時間でもある。誰かが組み、誰かが直し、誰かがいま守っている。その連なりを、湯と料理のあいだに置く、というのが、旅館に泊まるということの、もうひとつの意味であろう。

三軒の比較


宿 エリア Score 客室 創業 目安価格 系譜
俵屋旅館 京都・中京区 95 18 1704 非公開 京数寄屋
料理旅館 金沢茶屋 石川・金沢市 92 19 2008 ¥68-77k 能登・加賀宮大工
皆美館 島根・松江市 91 19 1888 ¥73-96k 出雲宮大工×京数寄屋

よくある質問

Q. 数寄屋造の客間で、特に見るべき箇所はどこですか?

A. まず床柱と落とし掛けの取り合い、次に書院の組子、欄間の透かし、そして長押の角の仕舞いです。これら四箇所に、その建物を組んだ大工の流儀が最も濃く出ます。釘や継手が見えるかどうか、面皮(樹皮を残した柱)の使い方、組子の細さなどに注目すると、数寄屋大工の手の良し悪しが読み取れます。

Q. 盛夏から初秋に客間で過ごす利点は何ですか?

A. 数寄屋造は、夏向きの建築として体系化されてきた経緯があります。障子を半分閉ざして外光を和らげる、簾を吊って西日を切る、土間や中庭からの涼気を引き込む、といった意匠は、暑さのなかでこそ働きます。冬の数寄屋は寒さに弱い面もあり、夏から初秋にかけてが、その本領が見える時期です。

Q. 子連れでも泊まれますか?

A. 三軒とも未就学児の同伴に制約を設けている時期があります。建物の繊細さや、料理が大人向けの献立であることが理由です。事前に各宿へ直接問い合わせ、年齢と人数を伝えたうえで判断されることを勧めます。

Q. 客間の改修は今も続いているのですか?

A. 三軒とも定期的に客室の改修を行っています。俵屋旅館は数年ごとに一室ずつ手を入れる方式、金沢茶屋は加賀屋本家の職人体制と連動した修繕、皆美館は明治本館の保存改修を継続中です。それぞれの宿の改修方針が、数寄屋大工の継承の現実を映す鏡でもあります。

Q. 数寄屋造の旅館は、ほかの地域にもありますか?

A. 京・金沢・松江以外にも、奈良の老舗料亭旅館、四国の道後温泉、九州の人吉や日田などに、数寄屋造を残す宿が点在します。本記事の三軒は、創業年と棟梁の系譜がある程度公開されている例として選んでいますが、ほかの土地にも、土地の宮大工と結びついた独自の意匠を持つ宿が残っています。

本記事の参考情報

Wikipedia: 数寄屋造 — 建築様式の概説と歴史
金沢旅物語(金沢市観光協会) — 加賀地方の伝統建築・職人文化の参考
松江観光協会 — 宍道湖畔の歴史的旅館と文人ゆかりの宿

編集部から

本稿で扱った三軒は、いずれも数寄屋大工という職能の系譜を、建物そのもので語ることのできる宿である。土地ごとに大工の系譜は異なり、客間の意匠も微妙に違う。京の俵屋旅館は宝永元年から、加賀の金沢茶屋は加賀屋本家の系譜を継いで、出雲の皆美館は宍道湖畔で。三百年、二代、百三十七年。それぞれの年数のなかに、何人の大工の手が入ったかを思いながら、客間に座る時間がある。数寄屋造を巡る随筆は、今後も土地を変えて続けていく予定である。次に書きたいのは、四国・道後あるいは九州・人吉あたりの、温泉旅館と土地の宮大工の関係である。

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