秋の長雨の午後、旅館の廊下の天井に、細かな編み目が浮かびます。杉や檜の薄板を斜めに組んだ網代天井。障子越しの薄明かりを無数の翳りへと崩し、和の座を静かに沈ませてきた仕事です。


琴平花壇 — 香川・琴平 · 数寄屋造り離れの軒先、夕暮れに灯る廊下の明かりと障子
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雨の日にだけ、天井が見える

晴れた日の座敷で、天井を見上げる人はまずいません。視線は庭へ、障子へ、床の間へと向かい、頭上は意識の外に置かれます。ところが秋の長雨が続くと、様子が変わります。庭は灰色に沈み、障子は白く均され、行き場をなくした視線がふと上がる。そのとき初めて、天井が像を結びます。

木の板を一枚張っただけの平天井であれば、視線はそこで止まって終わります。網代の天井は違います。斜めに走る編み目が、薄明かりを受けて明暗の細かな縞をつくり、目はその反復を辿りはじめる。座がわずかに低くなったように感じられるのは、この翳りの効果です。天井そのものが、部屋の気配を決めている。

薄板を編むという仕事

網代は、黒部や椹(さわら)の野根板、いわゆるヘギ板、または杉柾の突板を幾何学の文様に編んだものです。編み模様には市松、矢羽根、石畳、籠目、亀甲などがあり、材を縦横に整然と並べる市松は、杉の直線的な木目とよく合うとされています。

寸法を知ると、この材の性格がはっきりします。編み込む材一本の幅は約40mm。厚みは薄いもので約0.2mm、厚いもので約1mmにすぎません。紙に近い薄さの板を、墨で引いた線に合わせて一本ずつ手で編み上げていく。板を厚いまま使えば得られない柔らかさは、この薄さから来ています。

薄さは、経済でもありました。野根板や突板を採ったあとの端材を活かせること、そして継目のない一枚として、どれほど大きな空間でも天井を張れること。この二つが、網代を数寄屋建築の天井材として欠かせないものにしました。素材を惜しむ心と意匠の洗練が、ここでは同じ方向を向いています。

格天井が「真」、網代が「草」

日本建築は、格式を天井で示してきました。二条城の書院を見ると、将軍の座る位置が二重折上格天井、その下手が折上格天井、さらに格天井と、座の序列がそのまま天井の造りに現れています。天井は装飾である前に、身分の言語でした。

この序列を、真行草という尺度に置き換えると輪郭がはっきりします。折上格天井や二重折上格天井は「真」。格天井や竿縁天井は「行」。そして竿縁天井と網代天井は「草」に属し、茅葺や桟瓦葺、聚楽壁とともに、数寄屋造と茶室を形づくります。

注目したいのは、数寄屋造がこの序列そのものを用いない点です。格式で座を序列づける代わりに、竿縁天井を基本とし、茶室では狭い空間のなかに網代天井や掛込天井を混ぜて変化をつくる。上下ではなく、翳りの濃淡で場を分ける。網代が茶席から座敷へ、そして旅館の客間へと下りてきたのは、この思想を背負ってのことでした。

廊下の網代、座敷の網代


琴平花壇 — 香川・琴平 · 数寄屋造り離れ「長生殿」の座敷、金地の襖絵と欄間
PHOTO: 琴平花壇「長生殿」 — 公式サイトを見る →

金刀比羅宮の参道沿いに、1627年(寛永4年)、旅籠屋「備前屋」が店を開きました。それが1905年(明治38年)、16代目当主・三好源次郎の手で全室離れの料理旅館となる。琴平花壇の始まりです。回遊式の和風庭園を囲んで、数寄屋造りの離れが別荘のように点在します。

三棟の離れのうち最も古いのが「泉亭」。北原白秋が滞在した一棟で、公式の記述は、素朴な三和土の玄関とともに「艶やかな網代柄の廊下」を挙げています。編み目は座敷の内側だけでなく、そこへ至る道にも敷かれていた。廊下でいちど目を細かな文様に慣らしてから客間へ通す——網代を通路に使う意味は、そこにあります。

同じ敷地の「長生殿」は、三好源次郎が出身地の多度津から移したと伝わる離れで、1951年(昭和26年)にこの地へ移築されました。茶室建築を取り入れた数寄屋の様式に、坪庭を望む桧風呂が添えられています。泉亭の浴室は、四隅に細工を施した折り上げ格天井。ひとつの宿のなかに「真」に近い天井と「草」の網代が同居している事実は、格式の序列が旅館では和らげられ、意匠の選択肢へと変わったことを物語ります。

播磨の山中、旧館に残る編み目


湯元 上山旅館 — 兵庫・塩田温泉 · 2024年4月改装の本館和洋室、編み目文様の額を掛けた壁面
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姫路の奥、夢前町の山あいに湧く塩田温泉は、300年以上にわたり自然湧出を続けてきた湯です。湯元 上山旅館は1874年(明治7年)、この地で最初に創業した元湯の宿。周囲の山林を含めて2万坪という敷地に、本館、見晴館、椿館、東館の四棟が散っています。

公開されている建築記録によれば、旧館にあたる見晴館は、敷地内にあった明治期の建物を高台へ移して改装した木造建築で、その角部屋、十三畳の和室に、薄板を編んだ網代天井が残るとされています。十三畳という間数は、茶席のそれではありません。網代が茶室の作法を離れ、湯治客を迎える座敷の天井として使われた——その転用の跡が、播磨の山中に静かに残っている。

二代目・上山作右衛門は「娯楽、遊興は従とせよ」「湯治場としての本分を忘れるな」という家訓を残したと伝わります。新たに井戸を掘れば湯量は増やせたはずの時期にも、300年続いた泉質が変わることを惧れて掘らなかった。派手さより持続を選ぶ姿勢は、網代という材の性格ともよく重なります。

張り替えるという労

網代は、永遠の材ではありません。厚さ1mmに満たない板の集合ですから、煤け、たわみ、いつかは張り替えの日が来ます。そしてその日に必要なのは、材の値段より、寸法を読む職人の目です。

網代は3尺×9尺(約2730×910mm)といった大判で作られ、四畳半(9尺×9尺)なら3枚、六畳間なら4枚を並べて天井一面を覆います。継ぎ目が出るなら竿縁、すなわち見切材で隠さねばならず、一枚もので上げられれば竿縁は要らない。すっきり納めるほど、材も手間も大きくなる。天井を見上げて「継ぎ目がない」と気づける人は多くありませんが、その気づかれなさのために、宿は費用を払い続けてきました。

現代の宿には、もうひとつ条件が加わります。内装制限のかかる建物では、燃えやすい薄板をそのまま天井に張ることはできません。近年は国土交通大臣認定の不燃網代が用意され、旅館や店舗でも編み目の天井を選べるようになりました。伝統の意匠が今日まで続いているのは、懐古のためではなく、素材の側が法規に歩み寄ってきたからでもあります。

秋の長雨は、こうした労の総体を、ひととき目に見えるものにします。廊下を歩きながら見上げた翳りの細かさは、そのまま、編んだ手の数です。

本稿で触れた宿

網代を今に伝える作例として本文で取り上げた二軒です。Media Picks Score は、公開レビューデータを集計した評価に、立地・建築の主題適合度を加えた編集部の総合指標です。

琴平花壇 — 香川県仲多度郡琴平町

Media Picks Score: 92 / 100 金刀比羅宮の参道沿い、回遊式庭園に数寄屋造りの離れが点在する料理旅館。

目安価格 ¥55,000–¥84,000 / 泊(2名1室・通常期)

  • 創業: 1627年(寛永4年)旅籠屋「備前屋」/1905年(明治38年)琴平花壇として開業
  • 建築: 数寄屋造りの離れ三棟(長生殿・延寿閣・泉亭)。長生殿は1951年に移築
  • 網代: 泉亭に「艶やかな網代柄の廊下」(公式サイト記載)
  • 湯: こんぴら温泉郷


湯元 上山旅館 — 兵庫県姫路市夢前町塩田

Media Picks Score: 91 / 100 塩田温泉で最初に開かれた元湯の宿。2万坪の敷地に四棟が散る。

目安価格 ¥51,000–¥77,000 / 泊(2名1室・通常期)

  • 創業: 1874年(明治7年)
  • 敷地: 周辺山林を含め約2万坪、本館・見晴館・椿館・東館の四棟
  • 網代: 旧館・見晴館の角部屋、十三畳の和室に網代天井が残ると記録される
  • 湯: 塩田温泉(炭酸水素塩泉)、自然湧出。飲泉の歴史をもつ
  • 近年の改装: 本館和洋室は2024年4月、椿館の和室は2024年7月に改装


※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

よくある質問

Q. 網代天井と竿縁天井は、何が違うのですか。

A. 竿縁天井は、吊木で野縁を吊り、竿縁を渡した上に天井板を乗せる構法で、板の合わせ目と竿縁が直線の格子を生みます。網代天井は、幅約40mm・厚さ0.2〜1mmほどの薄板を斜めや市松に編んだ面材で、直線ではなく反復する編み目が現れます。真行草でいえば、竿縁天井は「行」にも「草」にも用いられ、網代天井は「草」に属します。

Q. 網代に使われる木は決まっていますか。

A. 黒部や椹の野根板(ヘギ板)、杉柾の突板が代表的です。ほかに檜、神代木、桐、杉皮などでも編まれます。同じ矢羽根の編み模様でも、材が変われば色も艶も別物になり、座の印象が大きく変わります。

Q. 泊まった宿の天井が網代かどうか、見分けられますか。

A. 板の合わせ目が直線でなく、斜めや市松の反復になっていれば網代です。加えて、天井を横切る竿縁があるかどうかを見ます。竿縁が入っていない広い面が一枚で続いていれば、大判の網代を継目なしで上げた仕事にあたります。

Q. 網代天井の宿を訪ねるなら、どの季節が向きますか。

A. 編み目の陰影がよく見えるのは、直射の弱い曇天と雨天です。秋の長雨や梅雨どきは、障子越しの拡散光が天井を均一に照らし、翳りの細部が読み取れます。編集部が推すのは、この時期の午後遅く、灯を点す前のひとときです。

Q. 古い網代天井は、そのまま残されているのですか。

A. 薄板の集合であるため、煤けや歪みが進めば張り替えが必要になります。四畳半なら3枚、六畳間なら4枚といった大判を並べ、継ぎ目は竿縁で隠すか、一枚もので継目なく納めるかを選びます。内装制限のかかる建物では、国土交通大臣認定を受けた不燃の網代も用いられています。

本記事の参考情報

・琴平花壇 公式サイト「数寄屋造り離れ」 — 泉亭・長生殿・延寿閣の建築記述
・湯元 上山旅館 公式サイト — 創業年・敷地・源泉の記述
・松文商店「網代」 — 材と構法、施工事例
・網代商会「杉柾市松網代」 — 材寸法・製品仕様・張り方
・Wikipedia: 真行草 — 建築における真行草の分類
・Wikipedia: 湯元上山旅館 — 見晴館の網代天井に関する記述

編集部から

天井を主語にして書いてみると、和の宿の設計思想がよく見えてきます。床の間は客に見せるための場所、庭は眺めるための場所。それに対して天井は、誰にも見られないことを前提に整えられた面です。見られない場所にこそ手間をかける——網代という材が数寄屋から旅館へ受け継がれたのは、その価値観が宿という商いと相性が良かったからでしょう。

次に長雨の日に旅館へ入ることがあれば、荷を解く前に、廊下でいちど頭上を見上げたい。編み目が細かいほど、そこには多くの手が入っています。天井は、宿がどこに金と時間を使ってきたかを、いちばん正直に語る面です。