神無月、紅葉が乳頭山の頂からブナ林へ降りてくる季節に、秋田・乳頭温泉郷の七湯から、建物と湯の継承が際立つ五軒を編集部が選びました。七湯はそれぞれに自家源泉を持ち、茅葺きの本陣、杉皮葺きの湯小屋、川べりの浴舎と、湯を囲む建物の姿も一軒ごとに異なります。本稿では開湯の時期、泉質、客室数、営業期間を宿ごとに整理しました。雪に閉ざされる睦月に泊まれる宿と休む宿の別も、あわせて記します。湯治場の建物に泊まりたい人にも、整った設えで秘湯を訪ねたい人にも、宿選びの手がかりとなるはずです。
| # | 宿 | エリア | 客室 | 目安価格 | 1行特徴 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 鶴の湯温泉 | 乳頭温泉郷・鶴の湯林道 | 34室 | — | 茅葺きの本陣と、半径50m以内に湧く四つの源泉 |
| 2 | 黒湯温泉 | 乳頭温泉郷・黒湯沢 | 旅館部14室・自炊部9室 | — | 源泉の河原を囲む黒い湯小屋。冬は休業する最奥の湯 |
| 3 | 乳頭温泉郷 妙乃湯 | 乳頭温泉郷・先達川沿い | 16室 | ¥52–¥55k | 金の湯・銀の湯、二つの自家源泉を八つの湯舟に |
| 4 | 蟹場温泉 | 乳頭温泉郷・県道終点 | 17室 | — | 本館から50m、原生林の中の露天「唐子の湯」 |
| 5 | 孫六温泉 六庵 | 乳頭温泉郷・先達川上流 | 6室 | ¥99–¥109k | 「山の薬湯」が全6室の宿に。車を降りて歩く道 |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。集計できる価格の標本が十分でない宿は「—」とし、目安価格を掲げていません。
1. 鶴の湯温泉 — 秋田県仙北市・乳頭温泉郷
秋田藩主の湯治場に、茅葺きの本陣がいまも建つ。乳頭七湯で最も古い一軒。
34室、茅葺きの本陣を残す湯治宿。

なぜ選ばれるか
乳頭温泉郷で最も古い歴史を持つ宿として、編集部が筆頭に置いた一軒です。寛永15年(1638年)に二代秋田藩主・佐竹義隆が湯治に訪れたと伝わり、湯宿としての記録は元禄期から残ります。理由は三つ。警護の武士が詰めた茅葺きの長屋「本陣」が現役の客室であること、白湯・黒湯・中の湯・滝の湯という泉質の異なる四源泉が半径50m以内に湧くこと、そして本陣では夕食が囲炉裏端に運ばれることです。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、評価の軸は湯と建物の風情に集まり、乳白色の露天風呂と茅葺きの家並みが宿の印象を決めていることが見て取れます。一方、湯治棟の六畳間や洗面・トイレを共用する棟など、設備は棟ごとに大きく異なり、ここは人を選ぶところ。棟を選んで予約することが、満足の分かれ目になると言えます。
向く人 / 向かない人
- 向く: 湯治場の建物そのものを目的にする旅、泉質の異なる湯を一軒で浴び比べたい人、囲炉裏端の夕食を望む夫婦旅
- 向かない: 客室に洗面・トイレを求める人(棟によっては共用)、混浴の露天風呂を避けたい人、段差や屋外移動を負担に感じる旅程
具体情報
- 最寄り駅: JR田沢湖駅から羽後交通バス乳頭線で「アルパこまくさ」下車、宿の送迎車に乗り継ぎ(要連絡)
- 客室: 34室(本陣・新本陣・東本陣・1号館・2号館)
- 泉質: 含硫黄・ナトリウム・カルシウム塩化物・炭酸水素泉ほか、計4源泉
- 食事: 山の芋鍋(味噌仕立て)と岩魚の塩焼き。2号館以外は部屋出し
- 宿泊料(公式サイト掲載): 1泊2食 1名 11,700円〜24,350円(2名利用時。冬期は暖房費が別途)
- 日帰り入浴: 10:00〜15:00、大人700円(月曜は露天風呂の清掃のため不可)
- 湯宿の記録: 元禄期(1688〜1704年)から
2. 黒湯温泉 — 秋田県仙北市・乳頭温泉郷
延宝2年頃の発見と伝わる最奥の湯。茅葺きの自炊棟が、湯治場の姿をいまに留める。
旅館部14室・自炊部9室、茅葺きと杉皮葺きの湯治場。

なぜ選ばれるか
乳頭温泉郷の最奥、先達川上流の源泉地帯に建つ湯治場です。発見は延宝2年(1674年)頃とされます。推す理由は、敷地内の河原に源泉が湧き出る様子を間近に見られること、茅葺き・杉皮葺きの黒い宿舎と湯小屋が寄り添う家並みが残ること、囲炉裏付きの茅葺き自炊棟に泊まれること。宿みずから「古くからの湯治場の雰囲気を保ち続ける」という一貫した考えを掲げています。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、湯けむりの立つ河原と黒い木造群がつくる景観、単純硫黄泉の湯への評価が柱になっている傾向がうかがえます。旅館部は洗面・温水洗浄トイレ付きに整えられており、湯治場の風情と居住性の両立が支持の背景にあると言えます。半面、駐車場から坂道を歩いて下る立地と冬季休業は、旅程を選びます。
向く人 / 向かない人
- 向く: 湯治場の家並みを味わいたい人、自炊で数泊する山の滞在、打たせ湯や貸切風呂を静かに使いたい夫婦旅
- 向かない: 11月中旬から4月中旬に訪ねる旅(冬季休業)、段差や坂道が負担になる人(駐車場から約50mの下り坂)、駅からの送迎を前提にする旅程
具体情報
- 最寄り駅: JR田沢湖駅から羽後交通バス乳頭線で約50分。「休暇村前」から徒歩約25分、宿泊者は終点「乳頭蟹場温泉」から送迎あり(要予約)
- 客室: 旅館部14室(専用半露天付き和洋室2室を含む)、自炊部9室(うち茅葺き・囲炉裏付き3室)
- 営業期間: 4月中旬〜11月上旬・中旬(冬季休業)。自炊部は10月末まで
- 泉質: 単純硫黄泉。混浴・男女別の内湯と露天、打たせ湯、貸切風呂2カ所
- 食事: 山菜と岩魚の塩焼きの膳。比内地鶏のきりたんぽ鍋は3日前までの予約制
- 日帰り入浴: 9:00〜16:30(受付16:00まで、水曜は11:00まで)、大人800円
- 発見: 延宝2年(1674年)頃
3. 乳頭温泉郷 妙乃湯 — 秋田県仙北市・乳頭温泉郷
昭和27年開業。金の湯と銀の湯、二つの自然湧出泉を先達川の瀬音とともに浴びる宿。
16室、渓流沿いの温泉旅館。
目安価格 ¥52,000–¥55,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
七湯のなかでは歴史の浅い宿ですが、継承の物語は濃い一軒です。樺太から秋田へ帰還した後藤定二・ウメノ夫妻が、山道で森から湧く湯を見つけて簡素な建物を建てたのが昭和27年(1952年)。平成3年に経営が引き継がれ、法人化されました。選んだ理由は、泉質の異なる二つの自家源泉、先達川に面した露天風呂、そして全室にトイレを備えた居住性です。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、総合の評点は今回の五軒で最も高く、評価件数も多い水準にあります。濁り湯の金の湯と無色透明の銀の湯を一軒で浴びられること、渓流側の食事処や客室の設えへの支持が厚い傾向です。料理ではきりたんぽ鍋と、塩蔵のきのこを使う振る舞いのきのこ汁が印象を残している様子。価格帯は郷内では上位にあり、素朴な湯治宿を求める向きとは好みが分かれます。
向く人 / 向かない人
- 向く: 設備の整った宿で秘湯の湯を楽しみたい夫婦旅、女性同士の旅、バス停から歩かずに着きたい冬の旅
- 向かない: 湯治場の古い建物に泊まることを目的とする人、宿代を抑えて連泊したい旅、階段や段差のない館内を求める人
具体情報
- 最寄り駅: JR田沢湖駅から羽後交通バス乳頭線で約50分、「妙乃湯温泉前」下車徒歩1分
- 客室: 16室(和室15・洋室1、全室トイレ付き)
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜10:00
- 泉質: 金の湯(マグネシウム・カルシウム硫酸塩泉)、銀の湯(単純泉)。湯舟は8つ、貸切風呂あり
- 食事: 比内地鶏だしのきりたんぽ鍋など秋田の郷土料理。食事処は渓流側の「草庵」ほか
- 駐車場: 無料・乗用車17台
- 開業: 昭和27年(1952年)、平成3年に法人化
4. 蟹場温泉 — 秋田県仙北市・乳頭温泉郷
路線バスの終点に建つ通年営業の宿。林の中の露天「唐子の湯」に、無色透明の湯が満ちる。
17室、ブナ林の露天風呂を持つ湯宿。

なぜ選ばれるか
付近の沢に蟹が多く棲むことから名が付いた、県道の終点に建つ宿です。推す理由は三つあります。本館から約50m離れた原生林の中に露天風呂「唐子の湯」があること、濁り湯の多い乳頭では珍しい無色透明の単純硫黄泉であること、路線バスの終点が宿の前で冬も足が途切れないこと。秋田杉の木風呂、ヒバの寝湯を置く岩風呂と、内湯にも木と石の手ざわりが残ります。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、林に囲まれた露天風呂の環境と、湯の華の舞う湯そのものへの評価が支持の中心にある傾向です。館は二階建てで昇降機がなく、支払いは現金のみ。設備の新しさや利便を求めると物足りなさが残る一方、手を入れすぎない山の宿の素朴さを良しとする旅人には、宿代の手頃さも含めて釣り合いの取れた一軒と言えます。
向く人 / 向かない人
- 向く: 雪の露天風呂を目的にする冬の旅、車を使わずバスで訪ねる人、宿代を抑えて湯めぐりの拠点にしたい旅
- 向かない: カード決済を前提にする人(現金のみ)、階段の昇降が負担になる人(昇降機なし)、新しい設えの客室を求める旅
具体情報
- 最寄り駅: JR田沢湖駅から羽後交通バス乳頭線で約50分、終点「乳頭蟹場温泉」下車すぐ
- 客室: 和室17室(本館と、トイレ付きの別館)
- 泉質: 単純硫黄泉。源泉は「蟹場硫黄」(湧出口54度)と「唐子」(同55度)の二つ、いずれも源泉かけ流し
- 食事: きりたんぽ鍋、みそ仕立てのかに鍋。夕食18:00〜、朝食7:00〜8:00
- 駐車場: 無料・乗用車20台
- 日帰り入浴: 9:00〜16:00、800円(水曜休)
- 営業: 通年
5. 孫六温泉 六庵 — 秋田県仙北市・乳頭温泉郷
明治35年開湯、「山の薬湯」と呼ばれた湯治場が全6室の宿へ。車を降りて歩いて着く一軒。
6室、離れを持つ小さな湯宿。
目安価格 ¥99,000–¥109,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
「山の薬湯」と呼ばれ、湯治場の風情を残してきた孫六温泉は、2025年に「六庵」の名を添えて宿泊営業を再開しました。開湯は明治35年(1902年)。選んだ理由は、古い湯を守りながら宿のかたちを改めた継承の仕方にあります。客室は専用露天風呂付きの離れ3室を含む全6室、定員12名。川沿いの浴舎には混浴露天、男女別内湯「唐子の湯」、天然石の「石の湯」が続き、樽形のサウナも加わりました。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計した評点は五軒のなかで最も低く出ていますが、集計対象の多くは改装前、素朴な湯治宿だった時期の評価である点に留意が要ります。川べりに離れて建つ浴舎と、趣の異なる複数の湯は、当時から変わらない宿の持ち味です。再開後は1泊2食のみの少人数制となり、価格帯も郷内で最上位へ。現在の宿としての評価は、これから定まっていく段階と見ています。
向く人 / 向かない人
- 向く: 客室の露天風呂で静かに過ごしたい夫婦旅、記念日の一泊、歩いて宿に着く過程まで含めて楽しめる人
- 向かない: 宿代を抑えたい旅、素泊まりや自炊での滞在(食事なしの設定なし)、足元に不安のある人(駐車場から徒歩、館内に昇降機なし)
具体情報
- 最寄り駅: JR田沢湖駅から羽後交通バス乳頭線で約50分。通年使える駐車場から徒歩約15分(夏季のみ使える駐車場からは約5分)
- 客室: 全6室(露天風呂付き離れ3、和洋室メゾネット2、和洋室1)、各室2名まで
- チェックイン: 15:00〜 / アウト 〜11:00
- 泉質: 単純硫黄泉・単純温泉。混浴エリアは湯浴み着を着用
- 食事: 1泊2食のみ。夕食18:00〜、朝食6:30〜9:00、食事処「結び庵」にて
- 日帰り入浴: 10:00〜15:00、男女別内湯700円(金曜休)
- 開湯 / 再開: 明治35年(1902年) / 2025年に「六庵」として宿泊営業を再開
よくある質問
Q. 雪の季節に泊まれる宿はどこですか?
A. 鶴の湯温泉、妙乃湯、蟹場温泉、孫六温泉 六庵の4軒は通年営業です。黒湯温泉は例年4月中旬から11月上旬・中旬までの営業で、冬は休業します。孫六温泉へは冬季、通年使える駐車場またはバス停から15分ほど歩く必要があり、荷物の運搬は事前予約で頼めます。冬の初訪問なら、バス停が宿の前にある妙乃湯と蟹場温泉が旅程に組みやすい選択です。
Q. 七湯めぐりはどうすればできますか?
A. 乳頭温泉組合の7軒で使える「湯めぐり帖」(2,500円、有効期限1年)が、郷内の宿に泊まる人に限って各宿のフロントで販売されています。支払いは現金のみ。帖を持っていれば周遊バス「湯めぐり号」にも乗れます。ただし黒湯温泉と孫六温泉へは、冬季の道路閉鎖のため11月下旬から4月上旬は運行しません。日帰り入浴の時間と定休日は宿ごとに異なります。
Q. アクセスは?
A. 秋田新幹線の田沢湖駅が玄関口です。東京駅から約2時間55分、盛岡駅から約40分。駅前から羽後交通バス「乳頭温泉」行きで約50分、タクシーなら約30分で着きます。秋田空港からは予約制の乗り合いタクシー「エアポートライナー乳頭号」が直行します。車の場合は東北自動車道の盛岡ICから約1時間が目安です。
Q. 混浴が苦手でも楽しめますか?
A. 5軒とも男女別の浴場を備えています。妙乃湯は混浴露天に女性専用時間を設け、バスタオルを巻いての入浴も認めています。蟹場温泉の露天「唐子の湯」は19:30〜20:30が女性専用時間。孫六温泉 六庵の混浴エリアは湯浴み着の着用が決まりです。黒湯温泉には男女別の内湯・露天・打たせ湯と貸切風呂があります。
Q. 子連れでも泊まれますか?
A. 黒湯温泉は小学生・幼児の料金を公式に定めており、蟹場温泉は幼児用の食器・スリッパ・浴衣と粉ミルク用の湯を用意しています。孫六温泉 六庵は条件付きの受け入れで、事前の問い合わせが必要です。いずれの宿も山あいの木造で段差や階段が多く、黒湯や孫六は駐車場から歩くため、歩ける年齢になってからの旅が無理のない選択と考えます。
本記事の参考情報
・乳頭温泉組合 — 七湯の泉質・営業期間・湯めぐり帖の案内
・環境省 十和田八幡平国立公園 — 乳頭山麓を含む国立公園の概要
・Wikipedia: 乳頭温泉郷 — 温泉郷の構成と国民保養温泉地指定(1967年)の背景
編集部から
五軒に通底する選定の軸は、湯そのものに加えて、湯を囲む建物をどう次代へ渡しているかでした。茅を土地で刈って葺き替える鶴の湯、冬は休んで湯治場の姿を保つ黒湯、開業者の志を法人として継いだ妙乃湯、手を入れすぎない蟹場、宿のかたちを改めて湯を残した孫六。継ぎ方は一つではありません。当主の代数、建物の文化財指定、毎分の湧出量については、各宿の公式な公表を確認できなかったため、本稿では数字を掲げていません。子吉小学校の木造校舎を移した大釜温泉は、宿泊営業の再開が告げられた折にあらためて取り上げます。雪の睦月と紅葉の神無月、どちらの乳頭から訪ねますか。